篤です。

 

企業理念のブログにようこそお越しくださいました。

ありがとうございます。

 

企業理念から応援したい会社を見つけたり、

世の中を支える会社をご紹介したりしています。

 

今日は会社の紹介ではありません。

 

『到知』のメルマガに

1985年11月号に掲載された森信三氏の

「わが言葉の人間学」

からの抜粋がありました。

 

森氏は80歳の時に

西洋哲学と東洋哲学を融合した

「全一学」という、

「真にその人の命に溶け込んで

 人生を生きる真の力になる哲学」

を提唱しました。

 

そして、その根本には

「真理は現実の唯中にあり」とし、

真理は現実の天地人生の唯中に、

文字ならぬ事実そのものによって書かれており、

しかもそれは刻々時々に展開しつつある、

と説いています。

 

更に

「真理は現実を変革する

 威力をもつものでなければならぬ」

を二つ目の根本に挙げていました。

 

「言葉は命である」

「魂の根本は言葉だ」とありました。

 

盲ろう者の大学教授である福島智氏の

『ぼくの命は言葉とともにある』

を思い出しました。

 

森氏は同時に古代語は単純明快であり、

いいかえると、論理が入らない。

 

そこから

「真理ほど単純明快なものはない」

と説いていました。

 

ここで「真理」を「企業理念」に

置き換えてみたいと思います。

 

企業理念は事実ではないし、

ものごとの根本とは言えないですが、

その会社の中で事実にしていくことであり、

会社の根本であるとは言えるので、

置き換えてみたらどうなるのか

考えてみました。

 

そうすると

「企業理念は現実の唯中にあり」

「企業理念は現実を変革する

 威力をもつものでなければならぬ」

「企業理念ほど単純明快なものはない」

となります。

 

これは核心を突いているのではないでしょうか。

 

特に

「企業理念は現実を変革する

 威力をもつものでなければならぬ」

という一文には力強く頷いてしまいます。

 

現実を変革する威力もなく、

唱和しているだけだったり、

HPに掲げてあるだけであれば、

企業理念とはいえないのです。

 

「でなければならぬ」

これ以外の存在の否定です。

 

そして、

少しずつ匂わせてきたように

単純明快であることは、

企業理念の在るべき姿なのだと思いました。

 

だからこそ

そこに関わる人たちの口の端に上るし、

判断基準にもなり得るのです。

 

森氏の説く「言葉」についての

記事を読みながら、

企業理念として現わしている言葉も

同様であると思いました。

 

最後まで読んでくださいまして、

ありがとうございました。

森信三氏は哲学者であり、教育者です。

「人生二度なし」を説き、

全一学の他、立腰論、

立腰教育も普及させています。

人生において、

これでもかというほどの悲しい目に

何度も合われながらも

96歳まで世のため人のために尽力されました。

信三は「のぶぞう」と読みますが、

通称として「しんぞう」としていたそうです。

『修身教授録』を購入したことがあるのですが、

当時の私には手も足も出ず、

お役に立ちそうな方に差し上げました。

そこでお役に立っていると嬉しいです^^