篤です。

 

企業理念のブログにようこそお越しくださいました。

ありがとうございます。

 

日経ビジネスにメガネのJINSの田中仁社長の

対談連載がありました。

 

その中で、「思いの伝え方が難しい」という話題になり、

「社長と現場では意識の乖離がまだある」

「組織の階層を経ていくと、

同じ温度感では伝わらないこともある」と

難しさを述べていました。

 

想いは、人による解釈の差があるので、

どうしてもそのままの温度感では

伝播していかないですね。

 

そこから更に、

中間管理職の役割に発展していきました。

 

対談相手の方が、組織に所属していると

「この部長は現場を理解してくれているけれど、

あの部長は上ばかり見て仕事している」

ということがよくあり、

「その違いはどこからくるのか」と問いかけをしました。

 

それに対する田中社長のお答えが

「人としての生きざまを信用できるかどうか」でした。

 

質問した方は

「確かに、生きざまを信用できる上司は、いい上司です!

仕事ができるできないの前に、

生きざまを信用できるかどうかということは、

凄く納得がいく話だ」とおっしゃっていました。

 

「人としての生きざま」は、自分企業理念です。

人としてどう在りたいのか、

ということが明確になっているからこそ、

「生きざま」となってにじみ出てくるのだと思いました。

 

とはいえ、

そんなに生きざまが簡単にわかるとは思えません。

 

時間をかけて、

不信感や意見のぶつかりあいを経て、

やっとわかるようになるのではないでしょうか。

 

また、「ブランド」の定義のお話がありました。

 

ブランドというのは、

「企業のフィロソフィーや歴史といったストーリーが

認知されているかどうかだ。」

「意図的に作るものでなく、あくまで結果」とありました。

 

ブランディングとして意図的に作っていく手法がある中、

反対側からの意見ですね。

 

CIでもブランディングできるので、

意図的に作るけれども、

それに対して真摯に「企業活動を積み重ねていった結果、

ブランドに行き着く」ということなのだと思います。

 

企業理念を作ったから、CI戦略をとったからと、

瞬時にブランドができるわけではなく、

認知されるまでには、

信用と同じように積重ねが活きてくるのですね。

 
経営者の生きざまが、
ブランドとしてにじみ出てくるのかもしれないですね

 

最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。

生きざまといえば、登山家の栗城史多氏の訃報に接し、

驚きと残念な思いでいっぱいになりました。

「人は誰もが冒険し、見えない山を登っている。

夢を否定しないで自分の中にあるエベレストに

一歩踏み出す人を増やすこと。それが僕の冒険」

という栗城氏の言葉が胸に刺さります・・。

心からご冥福をお祈りいたします。