センシティブな話なので、閲覧注意⚠️




鬱病は死に直結することはない病気ですが、〈希死念慮〉という厄介な症状があり、取り返しのつかない結末になることがあります。



私もこれまで、3人の知人を喪いました。




遺されたご家族がどんなお気持ちであるかは、当事者になったことがない私には想像することもできないので、軽々に語れるものではないことは承知の上です。



ただ、鬱病患者の一人であった経験からすると、やっぱり病死なんだとしか思えないんですよね。





例えば、ホテルの高層階で火災に巻き込まれ、煙や炎に耐えかねて窓から飛び降りた結果、転落死したとします。



これを「自分の意思で飛び降りたんだから自死だ。焼死や一酸化炭素中毒死ではないんだから、火災が原因ではない」という人はいないですよね。



それに近いものがあるんじゃないかと。




もしドラム缶の中で火を起こして煙を充満させた高層階の部屋で、ドライヤーの熱風を大量に吹きつけられ、火がパチパチと爆ぜる音をスピーカーから聞かされたとしても、それが「火災によるものではない」と認識している限り、窓から飛び降りようとはしないでしょう。



でも、





VRゴーグルでその部屋が燃えている映像を見せられていたら?






この、感覚を狂わせて「もう窓から飛び降りるしかない」と誤認させるのが鬱病なのだと思うのです。



✔︎︎︎︎ 自分が見ているのは、作り物の映像である

✔︎︎︎︎ 自分が感じているのは、炎ではなくドライヤーの熱である

✔︎︎︎︎ 自分が嗅いでいるのは、安全に管理された焚き火の煙である

✔︎︎︎︎ 自分が聞いているのは、録音された音源を再生したものである



健康な状態であれば誤認するはずはないですが、ほんの少しずつ変化したり、あるいは一瞬で切り替わったりして、感覚が狂ってしまっていることに気づけなければ、本人にとってはそれが〈真実〉です。感覚器は刺激を感知するだけであり、集めた刺激情報を総合して意味づけを行うのはあくまでも脳ですから。


いくら周囲が「それ、ただのドライヤーの熱風だよ?」と言ったところで、本人には「迫り来る炎の熱風」としか認識できないでしょう。




火災による転落死は炎や煙に追い込まれた末の事故死です。同様に、鬱病による自死は症状に追い込まれた末の病死です。



決して生命を軽視したり、粗末にしたわけではないと思うのです。むしろ、あまりにも真摯に人生に向き合い過ぎた結果、視野が狭くなり、選択肢を失ってしまったのではないかと推察します。




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