「X」週末まとめ | パニック障害と嘔吐恐怖症状を自力で治療克服した方法(運営終了・告知・記事倉庫のみ)

パニック障害と嘔吐恐怖症状を自力で治療克服した方法(運営終了・告知・記事倉庫のみ)

10年以上、パニック障害と嘔吐恐怖で苦しんだ私が、薬無しで自力克服したお話。あきらめないで!ちゃんと治そう!! 

🔴外出困難なパニック障害重症者への提言。

◉病気であっても、病人の生活サイクルをしないこと。


①生活リズムを整えることが大事だから。

・起床→朝食→昼食→夕食→就寝。

睡眠リズム、食のリズムをまずは整えましょう。

適切な一定の時間に寝起きし、食事の場に付きましょう。

これらを気まぐれに任せると自律神経のバランスも改善されてきません。


②心の勢いを身に付けるため。

健康だと言われている人達と同様の生活リズムから、あまりにかけ離れてしまうと、心も踊りません。  

心の勢いは時間管理によるところが大きいです。

メリハリのある生活リズムを取り戻していきましょう。


③社会性を身に付けるため。

社会復帰を目指すのであれば、早くから生活時間を通常に戻すこと。

社会は時間で動いています。そこへの順応性は日々の自分の自己管理、つまり時間管理によるところが大きく関わってきます。


🔴 「…にならないために」はダメというお話。

不安にならないように。
パニック発作にならないように。

ここを出発点とした治し方は,治りません。

「…にならないために」を起点とすると、それらが起きたら、もうアウト。

当然毎日,自分の状態や感じ方にばかり監視の目が入り、神経は尖るばかり。

そして100%みんな、起きた時の対処を間違えて悪化,慢性化させています。

あくまで、それらは起きる時は起きる。

やだ〜😫と感情的にならず、起きた時の自分をよく観察すること。

それが起きた時、どんな思考に及び,どんな感情に囚われているのか。そしてどんな行動に向かっていくのか。

起きた時の自分をしっかり観察なさい。


🔴 「失敗」を「ダメ」と捉えないこと。


◉失敗とダメは全くの別物だからです。

失敗に弱い人がいますが、それによって自分の人格否定まで及ぶ人が少なくありません。

失敗は自己成長には欠かせない材料なんです。


◉ダメとの解釈は、かえって失敗を招くから。

ダメとの解釈は「失敗しないように…」という意識に向きますから、常に緊張が生じます。当然失敗しているときのイメージばかりが浮いてきてしまいます。

そうなれば、自分のイメージに振り回され,結果失敗となり、「ほらな,やっぱり失敗した。やっぱり自分はダメなんだ…」

自分で失敗を生み出している構図がわかりますか?


◉失敗はギフトなのです。

自分にとっての失敗は何を意味するのか。
意味をしっかりと見出す癖を付けてください。

ダメを意味するのではないということをしっかり意識しましょう。

喜んで失敗を受け取りなさい。
そうすれば,失敗はあなたにとって良いスパイスとなるでしょう。


🔴 たくさんの方法論にとらわれてはいけないというお話。

パニック障害,精神疾患を克服していく上で大切なのはシンプルさ。

治す方法とやらを、何やら儀式めいたものを介在させてみたり、数が多かったり、複雑なものは上手くいかない。

はじめこそ、神秘性に惹かれたり、方法論を多く持っている方が安心感を得られるのですが、やがて使いこなせないばかりか、忙しいあなたには続きません。

あなたには生活があります。
世捨て人ではありませんよね。
ヒマラヤの聖者になりたいわけではないですよね。

日々、不本意な出来事や、理不尽な人間関係にもまれながらも、ささやかな楽しみを見出して生活している人が大半。

そこにきて、パニック障害を患ってるわけですから、治すことばかりに専念できるわけではないはずです。

そこにきて複雑な方法や、あらゆる引き出しを設けても、散らかるばかりで、どれも中途半端になるのが関の山。

「気付き」というシンプルな方法は、日常のあらゆる場面で使えます。

「自分の今」の状態に客観的視点に立ち、眺める。

それを実況中継のように言葉にしていく方法は、シンプルかつ、理性的、冷静に自分に起きることに対して向き合う力を養います。 (これを「メタ認知」能力と言います)

シンプルに治していきましょう。
私はそれで治していきました。

◉最近,ビジネスの世界でも「メタ認知」という言葉が使われ始めました。

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🔴 欲求は欠乏感です。

「が欲しい!」
「〜であってほしい!」
「〜になりたい!」

は、それらがまだ得られていない,つまり欠乏しているからこそ,湧いてくる欲求ですよね?

欲求を持つことがいけないわけではありません。

ただ欲求だけにフォーカスする事は,同時に欠乏感にも光が当たっているということ。

欠乏感はそのまま恐れや不安に繋がります。

ただ欲求だけを求めるのではなく、その根拠を明らかにしてください。

なぜ求めるのか。
それによって,何を得られるのか。
メリットは?
それによってどんな気持ちが得られるのか。

まるでその欲求が叶ったかのようにイメージング、あるいは言語化して明確にしてください。

ただ「〜であってほしい」だけで終わらせてしまうと、欠乏感に光が強く当たるので、欲求に執着すればするだけ、不安や恐れが出てくるのです。

イメージング?言語化?
よくわかんない?
めんどくさっ。

そんな人はもう、欲求自体を手放してしまいましょう。

欲求からの執着が手放せれば、欠乏感も湧きません。

というか、欠乏しているものなんて、そもそもないんですけどね。


🔴 セドナメソッドをやっていて,よくある疑問。

手放せた感じがしない…ってやつ。

実はこれ、「手放したくない」のかも。

感情を認めてはみたものの、その感情をいざ手放すとなった時、怖くなる。

それは抵抗です。

不安という感情があることで。
怒りという感情を抱えておく事で。
恐怖感という感情があるからこそ。

そうした感情があるからこそ、自分を何から正当化できてきたのかもしれません。

だからいざ手放そうとすると、自分を守れないので手放すことを抵抗するのです。

「認めることができますか?」は、ハッキリと自覚しつつも、そんな人は、その後のフレーズはどこか上の空でやってたりします。

手放すことを抵抗してるんですねぇ。

手放してしまうと、その感情による支えを失ってしまうので。

そうした側面があることもあるのです。

手放せた感じがしない…はどこかで手放すことを抵抗しているかもよ。