🔴パニック障害を「慣れ」で治すというのは勘違いしているのは問題です。行動練習の目的は苦手な場所に慣れることではありません。そのような目的を持つことは避けるべきです。
慣れだけでは問題は解決せず、取り組み方の順番を誤ると悪化の危険性があるため、早く問題を解決したいと思うならば、無計画に練習することは後で悔いることが多いです。
行動練習の目的は苦手な場所に慣れていくことではありません。それを目的にしてはいけないのです。
慣れでは治らないし、取り組み方の順番を間違えると悪化の恐れがあるので、闇雲に早く治したい環境下での練習は意外に後であることが多いです。
パニック障害の人の根本にある恐れは「自分が自分をコントロールできなくなる恐れ」です。
あなたのパニック障害の、きっかけになった事を思い起こせばわかるはずです。
なので早く治したいものよりも、まずは負荷を下げるために、自分を広く見渡して、あえて今は避けていること、できると思ってるけど先延ばしに、なぜかしている事をやっていきましょう。
結果として、「小さな大丈夫」を重ねていくことが大切です。「小さな大丈夫」というのは、症状や不安、恐れなどがないことではなく、「それはあるんだけど、まぁやってやれないことはないな」と感じられること。
その感覚を掴むには、小さな成功へのフォーカスと、小さな成功を受け入れることです。
パニック障害における行動練習は、慣れで治そうとしない事、覚えておいてください。
🔴 悩み苦しんでも、温かい部屋で悩めるなら、まだマシだ。
嘆きながらも、飯にありつけるならまだマシだ。
愚痴を並べても、風呂に浸かれるならまだマシだ。
ヤケになっても、掛け布団のある寝床で休めるならまだマシだ。
「好きで悩んでるんじゃない!」
そう怒るなら、まだ怒りのパワーがあるから大丈夫だ。
怒りをパワーにして生きろ。
変わろうとするな。
変わらないままの自分で生き切っていけ。
見本となる人を前に置くな。
そいつと同じになる必要はない。
人は誰それのようにはなれない。
そのぐらい割り切れ。
人は、所詮ちょろっとしか変わらない。
変わることを、諦めたほうがラクに生きれる。
心臓だけ、とりあえず動かしておけばいい。
とりあえず食べて、寝ろ。
それが人生だ。
人生はただの生活です。
🔴 YouTubeの情報・知識・学習系YouTubeの特徴でよくあるあるな態度が、聴く人を迷わせるというお話。
大切なことほど、配信者は力説します。
そして、絶対的なルールだと聴く人に訴えます。
これをしなきゃ…
これをやらないと…
これをすれば…
しつこく、しつこく、それを唱え続けます。
これ私もそうです。
私、とがしやすゆきもそうです。
でもね…
確かに大切な事をお話をしています。
守ってほしいこと、やってほしいこと、これは絶対に…と思って、確かに伝えています。
「私もできたんだから、あなたもできる!」
と、つい言っちゃいますよ、私もね。
だって、そう思うから。
決してビジネストークなんかじゃない。
でも、そう言うと…
「いや、いや、あなたはできたかもしれないけれど、私はあなたじゃない」
「それ、あなたの考えですよね?」とひろゆき風の反逆をくらうところでもあるのではないかと、言ってしまった手前、不安でもあり、若干の罪悪感も感じます。
「そりゃそうだ…」と私も思うからです。
温度差は当然あるものです。
でも体験者として配信者としては、大切なところ、守ってほしいことは伝えざるを得ないのです。
私があなたではなくても、あなたがいくら、「あなただから、きっとできたんだよ」と思われてもです。
可能性はゼロではない以上、やはりそこは自らが試行錯誤して得た、必要なことを、ルール、つまり原則にまとめて力説したいのです。
必ずやれ。
やらないと治らないぞ!
とまでは、強制しないまでも、いや正直な話、オブラートに包みながらも心の底では思ってます、きっと。
50代も半ばの昭和の親父の、うざったい、言葉の荒いおせっかいです。
言葉選びは慎重にと思っていても、つい熱くなると…そこはすいません。
でも、あなたが私のお伝えしていることを信頼して続けていってくれるのであれば、また反感をもって、でもなんか読み続けてはくれている人に対しても言いたいのは…
守っては欲しいルールはあっても、それが守れないこともあるということ。
それはそれでいいし、大丈夫だということ。
これは私が体験者だからこそ、私も十分承知をしているからです。私にもそれはあったのです。
お伝えしているルールは、あくまで回復への道を迷った時、諦めかけた時、パニック発作で慌てた時、本来向かうべき方向が見えなくなった時の、羅針盤、灯台のようなものであると気に止めて置いて欲しいということです。
ルールは迷わないための方向を示す灯りです。
そう思って私のお話を聞いていただき、ボヤきながらでも、イヤイヤながらでもいいですから、時にはやらない日だって、今までやってきたセラピーに戻っても、それは時にはあることです。
後ろめたさも感じながら、私のお伝えしていることに目を伏せている、今のあなたも。
いいんです。
私もかつてはそうだったから。
でも、灯りだけは、どうか消さずに、灯りを見失うことのないように。
そっちに行けば確実だから。
あなたが蛇行していても、灯りが目に入る範囲内でいれば大丈夫。
何を伝えたいんだか、支離滅裂になってきましたが…要するに。
今やけになっていても、問題ない。
お伝えしている方法から、一旦退いても大丈夫だということ。
一旦離れて、自分にとって何かが見つかって、それでうまくいけば、それはそれで喜ばしいこと。
でも、「やっぱりダメだわ」と悟れば、戻ってくればいい。灯りはいつも照らされています。そっちに向かって舵を切り直せば戻れますから。
納得いくまで、あちこち動いてみればいい。 後悔を恐れないで。後悔があるからこそ真理に近づけるのです。
🔴 「あれ?私って、もしかして幸せなの?」と思えた時から、「じゃあ、もっと幸せになろう」と思えるものです。
自分の今の状態に不平不満だけで、小さな当たり前の、幸せも見出そうともしない人が、「もっと幸せになりたい」なんて…
なれるはずがない。
毎日の生活で、ぼやきたくなることなど、どんな人にもある。
ただそれが事実だとしても、愚痴を吐き出して終われば、ハイそれまで。
愚痴で吐いたものがブーメランで自分に戻ってくるだけ。そうなっている、世は。
愚痴を吐くなとは言わない。
もっと「違うことも」吐き出しなさいよ。
一つでもいいから、それを見つけだそうとしなさいよ。
愚痴を愚痴で終わらせてはいけないよ。
当たり前に今朝も起きて、ため息をつくだけ、幸せだ。
起きれるのが当たり前と思うな。
ため息を布団の中で吐けるだけで幸せだ。
ため息を付くようなことが、今日現実にあってもだ。
あなたの想像力の問題です。
いらんところに想像力を使わない方がいい。
「今」に感謝できる人へのご褒美が幸福感である。
幸せになりたいなら、自分の身の回りの有り様に感謝することが近道。
🔴 心の病がなかなか治っていかない人へ。
結局、何をしていくのがパニック障害(心の病)からの回復に繋がるのか。
答えは…
思考に浸らずに、感情(気分)に直面する。
結局これなんです。
そして行動練習の目的はここにあります。
体験によって思考の暴走に気付き、そこで味わう感情(気分)に向き合うことをしていきます。
「こんにちは、ジミー!」も感情(気分)にフォーカスしているようなものです。
症状は感情の集合体です。
パニック障害は、きっかけはある出来事でした。しかし慢性化してくると、今度は感情(気分)へのとらわれが始まります。
あなたが回避行動するのは、実は感情(気分)からの回避です。
感情は抱え込むものにあらず、直面して、吐き出して流していくものです。
そのためにも感情を吐き出しにいくシーンを作ること。それが行動練習です。
感情の湧かない行動練習は意味がありません。
これはウサを晴らしにいくのではありません。
処理しきれなかった感情をその場に行って、再体験させて再処理をするんです。
再処理というと難しいのですが、気付き、実況中継、「セドナメソッド」がそれです。
感情(気分)にフォーカスせずにパニック障害や恐怖症は治りません。そもそも考え方を変えるだけでは治るものではないので。
パニック障害になると、よく処方される認知行動療法がありますが、あのセラピーの今ひとつさは感情よりも認知(思考)にフォーカスするところ。
なのでうまくいかない人が実際多い。
仕事や対人関係、家庭内のゴタゴタなどの問題にはいいですが、パニック障害や、強迫性障害、会食恐怖症などの広場恐怖症には、これだけでは無理です。
治りません。
数年経過して再発をする人は、感情が処理できていません。認知を変えることは努力してやってきている。でも…がある。これは臨床でよく聞いているとよくわかります。
認知の歪みと感情の処理を同時に扱っていかないと治っていかないんです。
そのためにも感情を味わうことが大切なのだということをよく頭に入れて行動練習に取り組んでくださいね。
🔴 あなたが何か不安で、行動の選択をする時、次のことを観察しましょう。
それが自分にとって長期的な視野に立っての行動なのか。
単に短期的な視野に立った、その場での安心を得るための行動なのか。
長期的な視野に立っての行動の場合、辛さをそのままに目的に向けて行動の選択をすることになることが多いかと思います。
その時に必要な言葉は「わたしにとって、この辛さに含まれるギフトは何だろうか」
辛さを辛さだけの視点で見るのではなく、「ギフト」といった視点でも見るように。
その行動を「辛い」視点だけで選択をしないように。
一方で短期的な視野で行動の選択をせざるを得ない時もあるでしょう。
一時的ではありますが、安心を得られることもあり、どうしても切り抜けなくてはならない状況下では、その行動の選択をせざるを得ない時もあります。
その場合、そこに反省を含めないこと。
自分を責める必要はありません。
その状況を切り抜けるためにせざるを得なかったその行動の選択はある意味、前向きです。
ただ、その行動の選択を次の場面で、どのように長期的な視点に立った行動にしていくのかは、すこし振り返ってみてください。
行動のあとの、振り返りは大切です。
そこで何が起きて、何を考え、どんな気分によって、その行動を選択したのか。
行動に至るその気分は、思考の反映ですから、その思考の、他の選択肢を自分の中に生み出しておきましょう。