【日曜日はヨガ・トーク!】「当たり前」を「ありがとう」に言い換えよう。



コンディショニング・トレーナー大森です。


ヨガの心へのアプローチであり、ヨガの智恵ですが、

『世界は、自分が「どう見ているか」で作り出している。
自分がどう見るかを変えれば、世界は幸せなものに変わる。

感覚や感情に流されずに、心に波を立てずに世界を見ることが大切である。』


そう考えて、世の中の言葉を見てみると、

その「捉え方」を変えるだけで印象が変わることは多くあります。


今回の【ヨガ・トーク!】は「当たり前」について。

「〝当たり前〟と認識すればするほど、それがおろそかになる。」

という話からインスパイアされたお話です。


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【下記、引用】

「当たり前のこと」
と認識すればするほど、

その箇所が
「おろそか」になっていきます。

(そして、それが原因で
様々な不具合や問題が
生じてきます。)


なぜならば、
「当たり前」と認識すればするほど
無意識に
「軽視」するようになるんです。


大事なことが
「重要視できなくなる」のです。

だーって、一度
軽視してしまっているから。


もう、こうなると厄介です。

一度「軽視」したものは、
自分のプライド
(っていうか要らぬ意地)を
叩き潰さないと
受け容れられないものなんです。


すごく大変です。

すごくすごく大変です。

だから、みんな、
「当たり前のことができない」
「当たり前なことほど難しい」
って言うんです。


だから、
何事も、
最初から、
当たり前だと思わなければ
いいんですけどね(笑)


そう、結論は、
「何事も、最初から、
当たり前だと思わない」こと。

「シンプルなものほど、
基本にみえるものほど、
当たり前だと思わない」こと。


とにかく、
みんなみんな、
大事だと思ったらいいんです。

大切に受け取ったらいいんです。

傲慢な気持ちで、
当たり前というレッテルを貼って
軽視するから困難が増えるんです。


変な例えですが、

「元気に挨拶する」を
当たり前だと思ってたら、
自分の機嫌ひとつで
できない日も出てきて、
だんだんやらなくなるはずです。


元気に挨拶する、を、
当たり前だと思ってたら
こうなります。

いやいや、違うのです。

何度も言いますが、
当たり前のことが難しいのではなく、
当たり前って思うから難しくなったのです。

油断、慢心したから、
容易なことが難関になったのです。


とにかく、
大事だと認識しようと
するのです。

当たり前に見えることほど、
大事だと認識しようとするんです。


そうすると、
「当たり前、当たり前~」って
ナメていた、軽く見ていたところに、
「むちゃくちゃ大事な見落とし」を
発見できるのです。

今まで、
当たり前だとナメていたからこそ
盲点になってしまい見えなくなっていた
大事な大事なことが、
スーッと見えてきたり、
次々浮かんできたりするのです。


【以上、引用】




書きながら、けっこう前になるのですが、ある人(この記事とは別の人)が、

「ありがとう」の反対は「当たり前」

と言っていたことを思い出し、

ちょっとした会話での言葉だったんですが、本質をついてるなーと感心したことも思い出しました。



「当たり前」と思ったことを「ありがとう」に置き換えてみる。

そうすると、文字通り〝有る〟ことが〝難しい〟で「有り難い」になりますよね。

けっこう世界が明るくなる気が、しませんか?(^-^)



今回も最後までご覧いただき、ありがとうございます。

皆様がより健康で快適にいられますように。


大森 剛 / OMORI TAKESHI