日々いろいろなことがあります。


良いことがあったり悪いことがあったり。


さまざまな体験がありますが、それに“どう向き合うか?”、“どうとらえるか?”がとても大切に思うのです。


ヨガ的な話っぽいですが、日常生活仕事でもプライベートでも、すべてに言えると思います。



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精神的なプレッシャーに負けてしまった人がいました。


その時、自分に自信を全く持てなくなり、いつもできていたことができなくなりました。


ある人に言われたことで、自分がやってきたことが無駄だったと思ってしまったそうです。


その努力には結果が伴っていなかった、と。


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さて、結果とはなんだろうか、と。


具体的な数字で表せるものもあります。


でもそうでないものもあります。


そもそも良い悪いの基準だって、見方によって変わります。


仕事である以上、ある面では明確な基準があります。売上だったり利益だったり。


でもそれでは測れないことのほうが多いんじゃないでしょうか。



自分がやってきた努力の成果が、どのように表れるのか?


競争であれば順位が明確に表れます。

でも、表現であったり実感であったりするものには、明確な基準はありません。


明確な基準がある方が、圧倒的に少ないですよね?



自己中心的なエゴは良くありません。他者の批判は受け入れることも大切。


でも、他者の基準だけで自分を評価するのは意味がありません。


だって自分はひとりだけど、他者は自分以外の人全員だから。



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膝を痛めた人がいました。


ある動きをしたときに違和感を感じて、それ以来チカラが入らなくなったそうです。


ジャンプしようとするとうまく飛べずに痛みも少しあると。


このままだったらどうしようという不安がありました。


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飛ぶときに必要な筋肉群の動きをチェックして、膝周りも含め大きな外傷は見受けられませんでした。


脱力からチカラを入れる反射の強さも反応も重症でない感じ。


それでもチカラが入らなくなったのは、カラダの防衛反応のひとつかと。


大切なのは、チカラが入らなくなった状況ではなく、なぜその反応が膝に現れたのか?ということ。


各関節の動作から、実際の痛めたであろう動作を観察して、体幹を含めた全身のコントロールに乱れがありました。


結果としては「膝にチカラが入らなくなった」という症状から、普段の動作改善のヒントをもらった形になりました。



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往々にして人はネガティブなモノゴトに影響を受けます。


ココロもカラダも「痛み」っていう感覚や感情には敏感ですから。

(それ自体は当たり前。本能的なものでしょうから。)


でも、それだけに囚われちゃあいけないでしょう。


確かにモノゴトにはネガティブな面もあります。


でも、それはあくまで一面。


それ以外の面のほうが多いはずでしょ?


その一面やそれ以外の面と“どう向き合うか?”“どうとらえるか?”



モノゴトにはいろいろな側面があります。


日々いろいろなことがあります。



良いことがあったり悪いことがあったり。


でもその体験が、本当に良いことか悪いことかは、どう向き合うか?どうとらえるか?によって変わってきます。



日々想うのは、ちょっとしたことで学べることがなんて多いんだろうってこと。


ひとつひとつの体験を大切にすることが、その学びを活かしてくれるんだろうなって思いませんか?



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涼しくなってきたせいか、ちょっぴり感傷的な内容になっちゃいましたかね?


ま、物想いに耽るにはちょうど良い季節ってことで♪クローバー