日々いろいろなことがあります。
良いことがあったり悪いことがあったり。
さまざまな体験がありますが、それに“どう向き合うか?”、“どうとらえるか?”がとても大切に思うのです。
ヨガ的な話っぽいですが、日常生活仕事でもプライベートでも、すべてに言えると思います。
~~~~~~~~~~
精神的なプレッシャーに負けてしまった人がいました。
その時、自分に自信を全く持てなくなり、いつもできていたことができなくなりました。
ある人に言われたことで、自分がやってきたことが無駄だったと思ってしまったそうです。
その努力には結果が伴っていなかった、と。
~~~~~~~~~~
さて、結果とはなんだろうか、と。
具体的な数字で表せるものもあります。
でもそうでないものもあります。
そもそも良い悪いの基準だって、見方によって変わります。
仕事である以上、ある面では明確な基準があります。売上だったり利益だったり。
でもそれでは測れないことのほうが多いんじゃないでしょうか。
自分がやってきた努力の成果が、どのように表れるのか?
競争であれば順位が明確に表れます。
でも、表現であったり実感であったりするものには、明確な基準はありません。
明確な基準がある方が、圧倒的に少ないですよね?
自己中心的なエゴは良くありません。他者の批判は受け入れることも大切。
でも、他者の基準だけで自分を評価するのは意味がありません。
だって自分はひとりだけど、他者は自分以外の人全員だから。
~~~~~~~~~~
膝を痛めた人がいました。
ある動きをしたときに違和感を感じて、それ以来チカラが入らなくなったそうです。
ジャンプしようとするとうまく飛べずに痛みも少しあると。
このままだったらどうしようという不安がありました。
~~~~~~~~~~
飛ぶときに必要な筋肉群の動きをチェックして、膝周りも含め大きな外傷は見受けられませんでした。
脱力からチカラを入れる反射の強さも反応も重症でない感じ。
それでもチカラが入らなくなったのは、カラダの防衛反応のひとつかと。
大切なのは、チカラが入らなくなった状況ではなく、なぜその反応が膝に現れたのか?ということ。
各関節の動作から、実際の痛めたであろう動作を観察して、体幹を含めた全身のコントロールに乱れがありました。
結果としては「膝にチカラが入らなくなった」という症状から、普段の動作改善のヒントをもらった形になりました。
…………………………
往々にして人はネガティブなモノゴトに影響を受けます。
ココロもカラダも「痛み」っていう感覚や感情には敏感ですから。
(それ自体は当たり前。本能的なものでしょうから。)
でも、それだけに囚われちゃあいけないでしょう。
確かにモノゴトにはネガティブな面もあります。
でも、それはあくまで一面。
それ以外の面のほうが多いはずでしょ?
その一面やそれ以外の面と“どう向き合うか?”“どうとらえるか?”
モノゴトにはいろいろな側面があります。
日々いろいろなことがあります。
良いことがあったり悪いことがあったり。
でもその体験が、本当に良いことか悪いことかは、どう向き合うか?どうとらえるか?によって変わってきます。
日々想うのは、ちょっとしたことで学べることがなんて多いんだろうってこと。
ひとつひとつの体験を大切にすることが、その学びを活かしてくれるんだろうなって思いませんか?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
涼しくなってきたせいか、ちょっぴり感傷的な内容になっちゃいましたかね?
ま、物想いに耽るにはちょうど良い季節ってことで♪