最初に訪れたのは、ブラジルのリオデジャネイロでした。
英語が得意と英会話が得意ではわけが違います。
アメリカン航空乗り継ぎで到着したけども、T/Cなんて古いもの持っていったので
両替で苦戦。
宿はここなら大丈夫という先日紹介したリオの宿が地球の歩き方に載っていたのを
バスの運転手に見せて、声を掛けてもらって下ろしてもらいました。
そこから迷子なんですが、「私少し日本語話せるのよ、案内しましょうか?」
というおばさまに案内されてチェックインです。
最初から最後までブラジル人はここまで親切だなんて涙 ってのが感想です。
宿は世界中からの観光客が宿泊するユースホステルのようなドミトリーでした。
2段ベッドの上です。
様々な国の人達とコミュケーションしました。ブラジルでも大都市で国際交流のあるところは特に英会話が通じます。
リオのコパカバーナの海とレブロンという海がとても気に入って、死ぬまでにもう一度訪れたいところです♬
ツアーではなく、同じ部屋で知り合ったサンパウロから来ていたAlineが仲良くしてくれて、
コルコバードの丘の麓の駅まで、タクシードライバーと値段交渉をつけてあいのりしたり、
夜はクラブへ連れて行ってくれました。コルコバードの丘のキリスト像の下は教会になっていて、
挙式できるので神父さんがいましたが、ナンパされました!さすがブラジル人!
自由でいいなあAlineとは最近までFacebookで繋がってましたがイギリスへ永住してからどうしてるのかな?
宿では腕時計をしてるだけでみんなが話しかけてくれました。
そして馴染んだ頃には宿のスタッフからオートロック解除の役目をいただいたり、
早朝に外で佇んでいると、小さな宿直のおじさんが「カプチーノ?」って言うので
毎朝キッチンにお邪魔させてもらいました
ポルトガル語が話せない私はリオの宿の居心地の良さや人の温もりが良すぎて離れがたかったです。
英会話もそれほど慣れてはいないので、のスタッフとの交流のときに、
逆に、英語でこう言う言葉は日本語ではこうだよということを紙に書くとスタッフは興奮して、
一生懸命日本語の発音の練習してました。この手はペルーでも通用しました
サンパウロへは、サンパウロから来ていた日本人カップルについていって長距離バスで移動しました。
サンパウロは日本人スーパーへ行けばなんでも揃ってるし、鳥居があったり親日的です。
リオで長く滞在シている間に秋になって、免疫力が弱っていた私は肺炎になっていたので
日本から持ってきた薬をどうにか組み合わせてなんとかしようとしていたら、
サンパウロの日本人宿で仲良くなった人が薬剤師だったので、
アドバイスもらってペルーまではどうにか過ごしていました。
その薬剤師さんは最初はアヤワスカには興味ないと言っていたけれど、
私がLAに到着したらメールで、死んだお父さんと会いたいからペルーのアヤワスカ情報を教えてと言うんだけど、
おすすめできないなりに情報を教えた記憶があります。
この薬剤師さんにはペルーの首都リマまでの飛行機のチケットを取るためのコミュニケーションを
手伝ってもらって本当にありがたかったです。
リオもサンパウロも露店が多く民芸品やらが面白くてお土産買ったりしましたね。