子供は、毒親を捨ててもいいよ | 「親孝行したい時に親はなし」後悔しない生き方をしたい!

「親孝行したい時に親はなし」後悔しない生き方をしたい!

「出来るだけ後悔しないように、今の自分に出来る事は?」
気が付いたら始まっていた介護の話、愚痴を赤裸々に書いていきます。

こんばんは、kazuです。

 

 

 

 

今朝、ヤフーで見掛けた記事

 

「その日、私は母を捨てました」医師・タレントおおたわ史絵さんが振り返る“母と過ごした苦難の日々” 母の孤独死の後も続く葛藤(マネーポストWEB) - Yahoo!ニュース

 

 

ワタシは、幸いにも地獄のような苦しみを親から与えられた経験はない。

 

 

でも、自分が大人になって冷静に自分の子供の頃を振り返った時に、ウチの親に毒親要素がゼロだったとは言わない。

 

けど、自分もきっと子供に対して毒親要素はあった。

 

 

10代、20代の頃は、「ウチの親がこうやったら良かったのに!」「もっと、こうしてくれたらよかったのに」って思う事もいっぱいあったけど

 

自分が、50代にもなって、親の介護が現実として突き付けられた時に、小さくなってしまった親を見た時に、娘に頼らないといけない状況になった親を見て

 

考えは変わった。

 

 

 

いつまでも、親がしてくれなかった事を悔やんでも仕方が無い。

やってくれた事に対しての感謝を持たなアカンよな。

 

そう思うようになってきた。

 

それも、もちろんやってくれた事がある場合よね。

 

この記事の中でのおおたわ先生の話を読んでると・・・

 

ワタシなら、この母親には一切感謝は出来ないなと思ったわ。

 

 

 

 

無償の愛は、親から子へ与えるモノであって、親から子供に求める事じゃない。

 

子供は、親へ無償の愛を向けてくれるけど、それを搾取したらアカンよね。

 

 

 

 

「誰が大きくしたったと思ってんねん!」

「誰のおかげで大きくなれたんや!」

 

これ、今やったらモラハラ?パワハラ?なんらかに当てはまるよな。

 

けど、こんな事を叫ぶ親って・・・昭和にはゴロゴロしとったと思う。

 

いや、昭和世代は今も生きてるから・・・現在進行中か?

 

 

 

ワタシは、子としての立場でもあり、親の立場でもあるけど

 

 

親子関係って難しいよね。

 

親子やけど、考え方だって当然違う。感覚も違う。

 

同じ人間では無いんやから、違って当たり前やん。

 

でも、それを分からない人、分かりたくない人、子を自分の所有物だと勘違いしてる人がおるもんな。

 

 

 

ワタシもね。

もうすぐ87歳になるオカンの介護は最後までやるつもりにしてるよ。

 

オカンが最後、出来るだけ穏やかに過ごせるようにしたいと思ってる。

 

ただ、オカンが認知症を発症した場合、暴言を吐くようになるとか、ワタシの事も全て忘れてしまったら・・・

 

その時は、迷わず外へ助けを求めようと思ってる。

 

自宅介護は、介護される側にとっての理想であって、介護する側の理想では無い。

 

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