こんばんは、kazuです。
「今更、お父ちゃんの事も見放されへんしなぁ・・・」
オトンの介護が長くなるにつれ、オカンの口からは良く出た言葉。
介護生活から解放されたかったと思う。
「こんなはずじゃなかった・・・」って、ずっと思ってたやろな。
私は“妻という持ち物”にすぎない…横暴な夫に自宅介護を要求され「離婚しておけば…」と後悔 | TRILL【トリル】 (trilltrill.jp)
この記事の中のじーさん程は、酷く無かったとは思うが・・・
若い頃、血の気の多いオトンに振り回され、経済的にも苦労をして、子育てしながらも働いて、頑張ってきたオカン。
定年もして、年金も貰えるようになってからは
「これからは、ゆっくり旅行へ行ったり、のんびり暮らそう」
と思ってたのに、オトンが年末に鍼灸院でやった施術をキッカケに足が腫れ、年末年始で病院は閉まってる・・・
年明けて病院に行った時には、大変な状態になっていたようでね。
(救急で病院へ行こうや!って言うても「大丈夫や」言うて聞かんかったオトン)
それから、治療はしても少しびっこ引きで歩く状態にしか戻らんかったんよ。
杖使えば歩けるけど、長距離は疲れるからイライラしてきよる。みたいな感じになってね。とてもじゃないけど「旅行へ・・・」なんて話が出来る状態じゃなかった。
で、足が完全に元通りにはならんまま、水頭症を発症した訳。
(ずっと、歩き方に難アリやったんで、水頭症を発症してるのに中々気が付かんかったんよな)
その頃は、見守りサポートぐらいで済んでたけど、とにかく転倒が怖いからオカンは気を張ってたと思うわ。
そんなんでね。
実際に体力的に大変な介護は、ここ3~4年やとは思うけど、それまでかってずっとオトンの生活サポート、介助をしてた訳やし、気を張って、自分のやりたい事は我慢して生活してたと思う。
とっくに限界を迎えてたんやと思う。
オトンが弱ってきてからは、ちょくちょく嫌味や意地悪を言うて反撃しとったけど(笑)
「お父ちゃんを見捨てて自由になりたいわ!」ってのも本音やったやろうし、「最後まで家で過ごさせてあげたい」って言うのも本音やったと思う。
けど、それも1人では出来ひんよね。
ウチのオカンは、外からの手もギリギリまで借りずに・・・よう頑張ったと思うわ。
他人は「そんな大変なんやったら施設に入れたらええやん」って言うと思うけど、このご時世、すっと施設に入れたらラッキーちゃう?
いや、施設を選り好みせんかったら(金銭面もね)入れるトコはあると思うけど、みんなそれぞれ都合はあるもんな。
本人の希望もあれば、金銭面も含めた家族の希望もある。
そこに、認知症を発症してるだの、持病があるだの、なんやかんやと条件が合う、合わへんもあるんよな。
介護施設は増えたって、施設で働く人は減っていくもんなぁ・・・