『現実はすべて自分が創っている』
この言葉は、被害者意識で凝り固まっていた私には衝撃的でした。
人生がうまくいかないのは、アダルトチルドレンだからだ!毒親のせいだ!と思っていたのに、すべて自分が創っていたなんて・・・。
この考え方に出会う前の私の状態と、出会ってからの変化をブログに書いてみることにしました。
今回は、小学生時代について書いていきます。
父について
私が小学生の頃、父は
「俺は公務員ぞ!俺に文句のあるやつは、
と、よく言っていました。
まだ子供である私と弟二人に対して、
自分は部屋の片づけをしないくせに、
自分は玄関に靴を脱ぎっぱなしなのに、私たちには片付けろという。
ニコニコしていて機嫌がいいと思っていたら、
マジで意味が分からない。
父は長期出張から帰ってくると、最初の3日くらいはニコニコしていて、気持ち悪いぐらい機嫌がいいのですが、4日目以降は家の中の掃除ができていないところを探し出してキレる、というのがいつものパターンでした。
なので、父が長期出張から帰ってくる前は、母と弟二人一緒に、父に怒られないように家の中を大掃除していたのですが、それでも汚れているところを見つけてくるんですよね。それがすごく嫌でした。
『掃除=父に怒られないためにやるもの』
というイメージを持っていたので、掃除や部屋の片づけは嫌いでした。
今思えば、掃除や片づけをするのが面倒で、自分の怠慢さをごまかす為に父のせいにしていただけだと分かるんですけどね。
母について
母は
「うちにはお金がないから、絶対大学行くなよ。高校は公立のみ。私立には行かせない」
と、よく言っていたのですが、それがどうしても納得いきませんでした。
お金がないって言いながら、何で子供三人も生んだんだよ!?と思っていました。
しかも、私が小学三年生くらいの時に四人目を妊娠して、「育てるお金がないから」と中絶しました。
普段から「お金がない」と言い、父の悪口も散々言っておきながら妊娠・中絶って、意味が分からない。
勝手に結婚して、勝手に子供三人産んだくせに、無責任な母親だなと思っていました。
『私は産んでくれなんて頼んだ覚えはない。あんた達が勝手に私を産んだのだから、責任もって育てろよ!』
と思っていました。
衣食住のお世話をしてもらい、育ててもらっているくせに、それを当然の事だと思い、両親の事をバカにしていました。
まさに、依存心の塊のような人間でした。