マネジメント用語
心理的安全性とは…
心理的安全性とは
「心理的安全性(psychological safety)」とは、組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のことです。
組織行動学を研究するエドモンドソンが1999年に提唱した心理学用語で、「チームの他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰したりしないと確信できる状態」と定義しています。メンバー同士の関係性で「このチーム内では、メンバーの発言や指摘によって人間関係の悪化を招くことがないという安心感が共有されている」ことが重要なポイントです。
心理的安全性が高い状況であれば、質問やアイディアを提案しても受け止めてもらえると信じることができ、思いついたアイディアや考えを率直に発言することができます。
講師はのぞみ整体院の吉川敦子先生。
呼吸の違いで委ねることを感じていく…
そんな体験でした。
あられちゃんとバッチリ目が合う素敵な場所を陣取りました。
ひとつひとつ丁寧に体感していきます。
この部分ね…と頭蓋骨で確認もしました。
ワークを進めていくたびに
感じ方が変わってきて…
心理的安全を体感することができてきます。
今まで生きてきた環境や条件は違えど
自分次第で感じて手に入れることもできそうと
思えたワークでした。
できていないことに注目されて
咎められて育ったと感じている私は
とても自己肯定感が低くて、
普通に考えていることや言っていることに
自信満々な人が眩しくて仕方ありません。
たまたまそういう方(自己肯定感高い)とお話をしたときに
小さい頃から現在も継続して
「すごいなぁ、こんなこともできてるの。
昔からすごいと思っていたけど、
今でもこんなことができるなんて凄い」と
親御さんから言われ続けているということがわかり
あ〜この部分が違うのかと気がついて
こんなにも積み重なると変わるのか!と
改めて驚いた覚えかあります。
その満ち溢れた自信はそこから来ていたのか!と
腑に落ちた瞬間でした。
褒めて育てる
わかっていてもなかなか難しいことです。
やはり育ったように育ててしまいがちです。
(自分の子育ての言い訳…)
私の母もそうやって育ったのか
または、私を育てていた時の環境や条件が
そうせざるを得なかったのかもとも
今になると思ったりします。
じゃあ、すべて私の育ち方が劣っているのか?と
思うとそれもまた違って
もしかしたら自分の考えだけが
正しいと思い込みそうになることや
他人様に出来るだけ迷惑をかけないように
という気配りができるような考えができるように
警鐘を鳴らして育ててもらえていたなと
思うところもあって
それはそれでありがたいなと思います。
どんなことにも表と裏や、
陰と陽があると私は考えていて、
どちらが正しくてどちらが間違っているということで
決めつけることはできないのだと
思います。
押しが強い人は自信満々にみえるけど
熱血ぽかったり頑固だったりという
ことであったりもしがちですし、
頼まれると断れない人は
優柔不断に思われるかもだけど
誰とでも仲良く人間関係を上手くこなせる。
とどちら側から見るかで変わってくるものだなぁと
感じています。
(あくまでも私見のイメージです)
どちら側から見るのが正しいかそうでないかと
言うことではなくて
どちらからも見れるし考えられるということだけが
事実だということだと思うのです。
だけど、幼い頃や
まだまだ思慮が足りない大人の段階では
そんなことすら考えられないので
ひたすら咎められないように
大人や強い人の顔色を見て
ご機嫌をできるだけ損ねないように
振る舞ってしまっていたんです。
それは、自己肯定感が低いということもあって
私なんか…が
と思ってしまうのですよ、ごく自然に。
そして、少々理不尽だなぁと思ったところで
誰も助けてくれないと
咎められても私が悪いからなんだなと
思い込む…。
そうなると、反抗もしないし
(いや、とてもできない)
まして信頼して心を開き始めていた人にまで
背を向けられるようなことを体験してしまうと
誰かを信じようとするのでさえ
とても怖くなってしまう。
だから、『何考えているかわからない』
とかよく言われました。
そりゃそうですよ、本音は誰にも漏らしませんもん。
そして、平気である瞬間にオセロのように
パタッと裏表が逆なるようなことができる人が
『もっと甘えたり頼ったりすればいいのよ』
と甘い言葉を投げかけてくるのです。
(どの口が言ってるんだ?ですよね)
そうなの?って素直に受け止めて
甘えてみると…
そんなもん知らん!
ってな感じで対応されたり。
え?どういうこと?ですよ、私の中はパニック!
(信じた私はバカなの?ですよ)
そこでまた自己肯定感が低いもんだから
依頼と依存を間違えたのかな?
とか自分の責任として考えちゃう。
どこまでいっても、悪いのは私でしかない。
たまたまタイミングが悪かっただけで
たまたまそういう人と関わりをもってしまった。
それだけのことなのにね。
まぁ、自分で選んだんですけど…。
(引き寄せていたとか…はあえて考えないことにします)
とはいえ、長く生きてしまうと
もういいかな…なんて思う瞬間も来るのです。
少しずつ素の自分を出せて
どんなことをしても(本音を出しても)許してもらえる
(もちろん程度がありますよ)
と感じたのは夫と結婚してからでした。
世の中の他の誰もが私を否定しても
夫が肯定してくれたらそれでいい。
もし、どうしても駄目なことや
許されないことをしたときには
きっと夫なら間違ってると言ってくれると
信じることができたのです。
本来は親の役割なのかもしれません。
どんな自分でも必ず受け入れてくれる!と
安心できるよりどころ。
残念なことに、私の場合は
相手が気にいるようにしなければ
自分を受け入れてもらえないと
感じながら生きてきてしまったのですが、
なんとなんと
私は結婚で心理的安全を手に入れた!のです。
(実のところ、数年はヒヤヒヤでしたけどね)
安心は自分で感じるものだと思います。
そして、自分で自己肯定感を上げていくことが
大切だとも思います。
心理的安全だと思える空間を
自分で広げていくこと
そして、そこは安全だよと思えること、
素の自分を出しても受け入れてくれるんだよ
と思えること…
なかなか難しいのですが、
自己肯定感が高くなりたいと
思うならその努力も必要なんだなぁと
思います。
まだまだ自己肯定感が低い私ですが、
最近は心理的安全地帯を増やしつつあるので
(理解してくれて許してくれる人たちに恵まれてます)
きっと私が眩しいなぁ、羨ましいなぁ
こんなふうになれていたらよかったなぁと
思っているのと同じくらい
もしかしたら私も誰かから思われている…
可能性も…あ…る…んかえ?
いや、ありかもしれないじゃないですか??
(と思わせてー笑)
なんてことも考えられるようになってきました。
自分でしかつくりだせない安心を
いつも感じていられる日々が
続きますように。
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