悟りへの道 -24ページ目

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

色々な良い言葉や教えはあるが、

2日でたいてい忘れてしまう。

 

そして、また次のよい考えや言葉を探しはじめる。

 

 

 

・昔は、なんですぐ忘れちゃうのだろう?と自責

・近年は、2日で忘れてしまうものだ、と悟った

 

といった状況だった。

 

 

 

 

だとしたら

2日で忘れる前提で、言葉とのつきあい方を考えるのが

一番適切な対応のように思う。

 

 

 

 

 

 

さて、最近人から聞いた。

「笑う門には福来る」

 

昔から知っていた言葉だったが久々に耳にした。

 

忘れていたなぁ。

 

 

 

また、最近、身内から

「後悔しても仕方がない。未来を見る。」

という言葉も聞いた。

 

そうしていきたいと思った。

 

 

 

 

1日実践してみた。よい気がした。

 

 

 

 

2日で忘れるかもしれない。

それでもいいじゃないか。

 

毎日1つ、

 

いや、2日に1つできれば

十分じゃないかな。

 

いや、一生に1つでもいい。

 

いやいや、1つもなくてもいいのかも。

 

 

 

 

1つじゃダメだ、

という

モノサシや思考がでていることに

 

今、気づいてそう思った。

 

 

 

 

自分の中に

思考やものさしを超えた

 

これだけは、これさえ、という己なりでいい

「理念」

 

を確立していけたらなと思う。

 

 

 

 

 

万人万物への感謝と幸を願います。

Windows11 で

コントロールパネルを使用したい時、

 

Windowsツールを表示すると

コントロールパネルアイコンがでてくる。

 

 

 

 

Windowsツールの表示方法:

 

●検索ボックスに「Windowsツール」といれ

 選択する

 

●スタート/すべてのアプリ/Windowsツール クリック

 

 

 

 

 

「Windowsツール」のショートカットを

スタートにピン留め等、どこかに置いておくとベター。

 

 

 

最近、身内に「怒り」がでた。

ふつふつとした気分が続いた。

 

そういう時は体調も悪くなる傾向ががある。

 

 

 

 

ここまでの「怒り」は半年ぶりぐらいか?

 

まだ思い出しては(=思考がでては)

不快感を感じることが続いていた。

 

 

 

 

今朝、その瞬間を見られた。

 

「まったく〇〇は・・・・」

と頭の後ろから”思考”がでて、

 

さらに、

すぐに”怒りの感情(エネルギー)”が

湧きそうになっていた。

 

 

 

 

思考を見張り切れず、巻き込まれていた。

 

思考をただ「思考がでたなぁ」で放っておけなかったのは、そこに即座に「判断」を使用していたからだと気づいた。

 

 

 

 

自分が正しい

自分のモノサシが正しい

相手は間違っておりヒドイじゃないか

 

という「判断」が入り込んでいた。

思考が出る度に、即座にその判断が出ていた。

 

 

 

 

「思考」と「感情」以外に

「モノサシ」にも気を付けていたが、

「モノサシ」はじっくり使われるように思っていた。

 

「モノサシ」がベースとなる

瞬間に出る「判断」が大きく関係していたことに

今回はじめて気が付いた。

 

 

 

 

また土いじりをして、元気にいきたいと思う😀

ありがとうございました。

 

 

 

★トマト記録:花がいくつか咲いていたが、小さい実を発見

 

 

 

コツコツ税金の勉強をしているので、

脱税理士・スガワラくん の動画を

時々みている。

 

伸びる経営者がしている7つの事 ✨

 

これをしていたら

7-8割成果が出るなぁ、と思える内容だった。

 

 

 

 

もし結果がでていなければ、

 

あーだから

こーだから

と理由をつけて

 

”やらない”から結果がでていないだけ

だと思った。

 

 

 

 

ただ、よいお話を聞いた”気分”で終わらせては

何も変わらない。

 

 

 

 

決断を早くし

2割のことを大事に

月決算をしていきたい。

 

これを1期に1つ、

いや半年に1つでもマスターできたら

 

2-3年で求める結果が出ると思う。

 

 

 

5/16本日よりそーっと開始してしまおう。

 

 

スガワラくん様 よいお話ありがとうございました。

 

”クルストファー・リーブ”

スーパーマンを演じた俳優さん。

 

43歳で落馬により脊髄損傷で首から下が麻痺。

52歳でなくなった方。

 

 

 

彼には妻子がいた。

損傷前は「何かする」ことが夫・父として大事だと思っていたという。

損傷後「いるだけでいいんだ」ということに気づいたとのことだった。

 

 

 

「いるだけでいい」

以前は、何かしないとと思考が猛反発した言葉だったと思う。

今は、すんなり自分の中に入ってくるものがある。

 

 

 

あーしないと、こーしないと、

あれはなんなのだ、こうにちがいない、・・・

頭の中のおしゃべり(思考)が湧いて仕方なかった。

 

 

 

「うるさ-----い!」

よく心の中で叫んでいた。

これってなんなのだろう?とどこかで思いつつ、やはり自己と同一化して、でた思考に巻き込まれた人生を生きていた。

 

 

 

今だって、思考は出る。

ネドじゅんさんのように一切の思考がでなくなってはいない。

ただ、出た思考に気づき、自己同一化せず8割がたは巻き込まれないだけ。

 

左脳さん、右脳さん。: あなたにも体感できる意識変容の5ステップ

 

 

 

 

最近、もろもろで疲れのピークとなり、ついに燃料ぎれになってやる気がでない、疲れがとれなくなった。

そんな自分をどうしてだろうと疑問に思うとともに、テキパキできない自分を思い返せば十分責めていた。

 

 

 

自覚がなかったが、完全に巻き込まれていた。

疲れたぁという思考に巻き込まれ、責める思考に巻き込まれ。

 

いつも元気だったのに!と比較し、変わらないものはないのに、体調が変わったことを受け入れていなかった。

 

 

 

ふと冒頭の彼、クリストファー・クロスの話を思い出し、「いるだけでよかったんだ」と。

 

 

 

疲れたという思考は湧くけれど、湧いたなぁというだけで、それでも動きたければ動けばいいし、休みたいなぁと思えば休める形で休めばいい、行くことが起きれば医療へも行けばいい。

疲れてることは悪いとか、動けることは良い、とか判断しなくていいじゃないかと思った。

 

 

 

まずはいるだけでOK。

なるようになる。

思考も起こるようにおこる。

良し悪しもない。

コントロールしてもしなくても起こることが起こる。

 

 

 

誰のためにもなれないかもしれないけれど、

思考を思考としてただとらえ

良し悪しなく自分を大切にできたら

 

世界で一番大事な人(自分)を大切にできた人生に

なるのではないか、そんな気がした。

 

 

 

 

部屋を汚したつもりがなくても、

ちり

ほこり

 

が毎日たまる。

 

 

 

 

床掃除

物の整理

不用品を処分

 

を毎日すると、すっきりする。

 

 

 

心も同じかなと思う。

 

 

 

「自分」の肉体がいる場所が、家の部屋。

「自分」の精神がいる場所が、心の部屋。

 

 

 

心の部屋の掃除の必要性を

習うこともない現代。

 

 

 

まずはコツコツ

自分の心の掃除をするところから

スタートし、

 

仲間を増やしていきたいものだ。

部屋は毎日掃除をして

体にいいからと運動をして

 

取得したいものはコツコツ勉強し

鈍らないようにピアノは毎日ひいたり

 

するが、

 

 

 

 

心(ものの見方、それによる感じ方、概念)は、

 

毎日

 

メンテナンスしたり

鍛えたり

学んだり

継続させたり

 

しない。

 

 

 

 

 

心技体の

”技体” は鍛え、

 

”心” はほったらかしでいい、

 

という常識が今の世であるように思う。

 

 

 

 

その常識は、本当だろうか?

 

ほんとうに

ほんとうだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

※かつての日本の教育「修身」では

 これを低学年から教えていた

 高学年にもなるとたいそうな精神性まで取得できていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の掃除

心の筋肉・体力づくり

心に継続修練

心に毎日の基礎訓練と向上

 

かつて日本の教育にあった

「修身」

で教えられていたことを思い出した。

 

それが普通の一般常識としての概念に

置き換わってもよいと思う。

 

 

 

 

 

 

思考と自分を切り離す

 

その前に思考に気づく

 

気付いて気づいて気づく。

 

 

 

そして、

切り離す、離す、離す、俯瞰する。

 

 

 

 

「あぁ~、めんどくさい」

 

 

 

 

そう思考が出た。

 

そう言葉が頭に”突然”出たことに

気付く。

 

「あっ出たな。

 ”あぁ~、めんどくさい” という思考が。」

と気づく。

 

 

 

 

そしてさらに言うとしたら、

「”あぁ~、めんどくさい” という思考がでた”自分”」

という。

 

 

 

 

”自分”が思考したのではない。

 

その思考が出た”自分”であるということに気づく。

 

その自分というのも”自分”と普段定義している者であって、

その”自分”に、思考がでた。

 

それに気づいてみている「自分」からそこを見る。