今日、久々に以前の住まいのご近所さんと再開した。
たわいのない話をし、
おだやかに「またね」と別れた。
その後
思考が
別れた後に
ダダダダーーーと
出てきたのに気が付いた。
●その人との過去の記憶
●その人と交流があった時期の
色々な出来事の記憶
●今日の自分の対応への思考
・ あぁしておけばよかった
・ これはだいじょうぶだったか
・ あの時期はこうだっだなぁ
などなど。
自分は3人いる、と以前ブログに書いた。
1.意識の自分 = 馬車にのる王様
2.思考に気づいている自分 = 馬車の騎手
3.思考自体と同化している自分 = 馬
以前の私や
一般的な人は
3の馬と同一化してしまっている。
まさに今日
バタバタバタと思考が出たのに
巻き込まれかけ
「今日のこれ、まさに
”暴れ馬” という感じだなぁ」
と気付いた。
手綱をににぎる騎手の視点になり、
さらにそれをながめる王様に
視点を変えた。
昔は本当に
この「暴れ馬」と同一化して
あぁどうしよう
いや、こうだから
これってどうなのか・・・
と
自分を責めたり、焦ったり、不安になったり。
頭の中がやられたい放題だった。
この状態で普通に生きていたのだから
大変よくやっていたともいえるかもしれない、
と毎度だがまた思った。
「暴れ馬」だの
「騎手」だの
「王様」だの書いたが、
まきこまれず
”思考に気づく”
ことで
本当は、それだけで
合格点の70点ぐらいは
とれていると思っている。
このように昔の知人と会うと
普段と違う
思考・感情がでるので
気づきやすいのだが、
今日は、
さらに気が付いたことがあった。
日常のよくある過ごし方をしている際、
まだまだ
思考と同一化している自分に
気が付いた。
ちょっとしたときに
●あれをしないと
●あれをやっていない
●これやるの面倒で大変だ
そういう思考を出し
自分自身に影響を
与えているのに気が付いた。
以前からも
何度も気づいていたが
また気づくと
とらわれてていたことに気づく。
さらに思ったことがあった。
「あれこれしないと、
面倒だけどしないと、
と、どこかに目指すべき姿があり
それを追い求めているが
それは本当だろうか?」
と。
また
「どこまでいったら
自分は満足するのか?」
と。
「今自分は、
○○という問題を抱えている、
と思っているとしたら、
問題が解決されたら
本当に問題がなくなり
幸せになるのか?」
と。
逆に言えば
●何もかもが完璧な姿にならないといけない
●そのためにすべきことがある
という概念をもっていると。
そういうクセが
でてくる
思考には
ありがちだということ。
こういう発見の繰り返しで
平安を深めつつ
ふと思ったことは挑戦し
今にベストをつくしていきたいと思う。