三毒、貪瞋痴(とんじんち)
受け入れたいもの
受け入れたくないもの
智慧がない状態
あぁしたいこうしたいのにと不満、比較し不満
怒り、後悔、嫉妬をし不満
乱れた行動をしたり、己を否定し不満
ブッダの言う「人生は苦」の苦とは
人生は「不満足」の連続と言いかえられるという
思考を見張り続けると見えてくるものは
「怒り」の多さ
たとえば最初は「比較」でも
結局最後は「怒り」による「不満足」
に至ることが多いように思う
怒り、愚痴や恨みや羨みで終わらせては
怒りの火で焼きたくないものまでも焼いていく選択となる
あっ、今、貪瞋痴の瞋の「怒り」がでたな?
自分のモノサシで測っていた?
自己価値観にとらわれ不満がでた?
すると気づいて貪瞋痴で分析するだけでも
少し
怒りの火が小さくなってくる
それをただ
思考として
眺める自分に視点を移し
さらにはそれ全体を見る自分に移す
すると
そこにはただ静かに平安があるのだが・・・
それだけで
収まらない時は
相手がいるならば相手はどういう気持ちが背景にあったのか?
相手はどうしてそれをしたのか?
何故自分はそれを気にしているのか?
どういう価値観が自分にあったのか?
それは本当に正しいか?
自分が気を付けることはゼロだったのか?
同じことを繰り返さないため出来ることは何なのか?
ここで何が学べるのか?
次の方策(学び・課題)をたてると
「水」と「種」
が現れる
怒りの「火」は振り返らないと決める
成長することを決める
怒りの思考はとらえるのみで
”畑仕事”に体と心を使う
別の土壌に
課題の「種」をまく
そこに見張り思考をとらえるという「水」をかけ
毎日毎日・・・・
育て続ける
数日で大木にはならない
コツコツと
思考錯誤しながら
大木にすると決めた種を育てる
そこに自分という”成長”の木が
大きく大きくなっていく
やがて、
葉をつけ
枝を伸ばし
木陰をつくり
あるときは暴風をふせぎ
あるときは落ち葉で土を豊かにし
自分の成長とともに
他の生き物と共生している
自分を見る
怒りの火を見張る
怒りの火を成長への”大木”の種へ