先日、取引先が遅刻をした。
まず、約束時間がすぎ電話がきた。
そういう自由さがある人だし、
ある程度親しい関係性があるし、
悟りの道を歩く者として
良い悪いとか
怒りの感情も
湧いてこなかった。
ただ、
・後の予定がつまっていなかったからよかったけれど
・連絡は早めにくださいね
・自由だなぁ
とは思っていた。
遅刻してきた際、
どういう態度をとるか
それを観察して
気づいたことがある。
笑顔で一言謝って、
それで本題にすぐ入っていた。
それに対しても
誤りが足りないとか
笑っているのはダメだとか
も思わなかったが、
自分に対してだったら
・何度も謝るべき
・恐縮するべき
・笑ってらいけない
と思っていただろうということを
気づいたのだ。
取引先は、
電話と
対面で
確かに2回謝った。
相手が、どう思うか
相手が、許すか許さないか
相手にゆだねるしかない。
それを
逆に今までの自分は、
・何度も謝る → 許してもらいたい
・恐縮する → 反省しているアピールしたい
・笑わない → 真剣な気持ちアピールしたい
と手を変え品を変え
”相手を変えようとしていた”のではないかと思ったのだ。
考えてみれば、
2回謝れば十分だ。
今回のことだけでなく
こういう沢山謝るべき、のような
思い込みで
いろいろな行動選択をしていると思った。
そして
悟り的にも
自分ができるのは
自分の行動だけ。
相手がどう思うか
相手がどう行動するか
は手中には一切ない。
手中にあると思ったら
欲や執着になる。
最後に、
自分のモノサシ(常識、価値観、経験、視野、等)は、
苦の原因の1つだと何度も書いてきたが、
それ以前に、
そのモノサシ自体が誤っている可能性があることを
今日発見した気がした。
この学びを自らの血肉にしていきたい。
生きとし生けるすべてのものが
さらに幸せでありますように。
~ありがとうありがとうありがとう~
