蝶々を毎日何匹も見かける。
そういう季節なのだとは思うが。
縄文時代の日本人は虫とも話せたという。
日本人なんだから話せるかもと毎日話しかけている私。
蝶々が私のあとをついてくるようになった気がするのは
気のせいか?
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①
「思考」と「感情」を
毎日毎日とらえている。
思考だけでなく、
自分の体の動きも
”見張り”つづけている。
とらえた後どうするか。
今までは、
自分で見つけた思考のパターンの
・モノサシ(価値観、常識、視野、知識経験など)
・比較(優劣、嫉妬、羨み、恐れ、不安、怒り等)
・思い通りにしたい(自分第一、自分を認めて等)
で分けて、
「出たな!」
と見つめて終わっていた。
すぐに「思考・感情」が消えることもあるし、
その後も「思考・感情」が残ることもある。
残る時は、それはそれとしておいておいて
次に移るか、
どうしてそんなに
それが残る位それが気になるのか、
さらに”自覚”(分析)してみたりした。
最近は、
初期仏教の人間の3毒と言われている
”貪瞋痴(とんじんち)”
に分類し、思考は思考として眺めることもある。
⓶
さて、昨日は
少し違う対応をとってみた。
無駄な時間
ボーっとする時間を
まずとってみた。
最初に
”日本人は虫と話せる”と書いたが
それは、
日本人(正確には、日本語を話す人)の
本当の姿等を伝えてくれている
ペンキ画家SHOGEN
さんの動画をみて知った。
そのSHOGENさんの
動画を見て、
ボーっとした時間も楽しみ
ムシと話せるぐらいに
と試したみた。
効率効率
時間に追われ
することを楽しむのでなくこなすだけ
それは違うのでは?
かつての日本人はそうでなかったらしい。
③
そう思って
ゆったりすごしはじめたら
「思考」をとらえたとき
そのとらえた自分を褒めよう!
というアイデアが浮かんだ。
そういえば以前
ネドじゅん(右脳さん左脳さんの著者)さんも
「思考をとらえたら小さくガッツポーズをしましょう」
と言っていたなぁ。
最近するのを忘れていた。
「思考」をとらえたら
褒めようと思ってみたら
・えらいなぁ
・最高やなぁ
・よくとらえて、たいしたもんだ
・なかなか気づかんでその視点
・まずとらえようとしたこともすごいわ
・そやな、それは〇〇やもん
ほどほどがええよなぁ
となぜか関西弁なのだが
大絶賛する声? なのか 思考?なのか
を出せるようになった。
どの思考をとらえても
大絶賛してくれる声が頭に響くと
思考だけをとらえていたときより
気分がよくなってきた。
さらに、
疑問を「その人」に投げかけると
答えてこれるようにもなった。
それが
結構納得のいく言葉で
返してくれる。
「その人」というか
「その声」というか
それは
自分の潜在意識なのかもしれないし
大いなる情報につながった
真理のようなものかもしれないし
とにかく
ボーっとする時間
縄文時代の先人のような生き方を
心にとめたら
声が聞こえるようになった。
明日は聞こえないかもしれないし、
ただの自分の
思考同士の
おしゃべりなのかもしれない。
それは分からない。
ただ、
縄文時代の祖先のような生き方考え方が
自分に
よい影響を与えた!
それは思った。
そして思ったのが、
思考をとらえ続けてきて
以前よりずっと
楽になり抽象度高く
世の中を見れるようになったが、
あらためて
自分の思考
でどれだけ
苦しんできたのかと。
自分をどれだけ
責めてきて
足りないと思って
不安になって
そして
他人にも
状況にも
同じように
心揺らがせ
これで辛くないはずがないと
思った。
この不思議な声と1日に感謝。
今日はこの辺で。
私とみなさんと生きとし生けるもの、大地等すべてが
さらに健康で豊かで幸せでありますよう。

