つい数年前まで、
「天職」を探したい、
とこだわって
求めてきた自分がいた。
だいぶ錯覚にとらわれていたように思う。
自分の思考や価値観の
考察をしていくと
若い頃の
狭い幼い視点
限られた知識
によるモノサシで
判断してきたことを
大事な価値観として
大事にしてきたことに気づいた。
うすうす
そう思っていたが、
昨日時間をかけて
考察したことで
「確信」になった。
この話はまた
機会があったらしたいと思う。
そんな幼い頃の
狭い価値観を
つい最近まで握りしめていた
ということ。
そういうことは
この世の中に多数あると思う。
多数でなく、
私もそうだったように
ほぼ”全て”の人が
幼い視点で
思い込んだモノサシで
生きている気がする。
なぜ大人になっても
変えられないのか?
自分のモノサシを
大人になったら再考するという
ことが
今の世の中では
「常識」
ではないからだと思う。
本当は
大人の必修角科目として
20才
30才など節目に
再考することが
本人のためにも
世の中全体のためにも
常識になることが大事であるように思う。
学生時代は、主に
・知識(学歴)
・お金(良い学校、良い会社、よい給与)
・地位・名誉
が大事だと習い、
大人になっても、それに
・仕事
・健康
・恋愛(結婚)
・楽しさ(娯楽、刺激)
が加わるぐらいで、
心が大事などとは
一切でてこない。
それらの基準を
比較、比較、そして、比較し、
思い通りにならないことへ
怒り・嫉妬
自己否定
の苦しさにとらわれ、
思考と感情にとらわれ
前より人よりもっとを求め、
刺激を求め、
人生を送る。
そんなイメージが
人生になっていないだろうか。
人生はそんなものだと
思い込んでいないだろうか。
本当は、
モノサシの再考や
他人とはモノサシが違う事を理解し、
比較しすぎていることに
いや比較自体する必要があるかに
疑問を抱き、
自分の思い通りにしたい
そうなるべきだとの思い込みに気づき、
平安な心で
今にありながら
出来事、物事、自分の思考、感情、体を見ていく。
そんなことを
大人の道徳として
学ぶ機会があるべきな気がした。
小学校でならった道徳
・みんな仲良く
・明るく
・元気に
小学校からすりこまれた
・成績よいことが価値あり
・運動が得意なことに価値有
・容姿がよいことに価値あり
・それ以外はたいして評価されない
という視点。
これが本当だという
モノサシになっている人が
ほとんどだろう。
それは
本当に本当か?
それを再考する
静かな心
それさえも
TV
ネット動画の騒がしさ
で
見えなくされている
とさえ思う。
「道徳」という言い方が
適切でないような気もするが、
「初期仏教」的な考え、
「人間の本質論」的な考え、
「悟り」への考え、
それを大人のための授業として
世に広まることが
大事ではないのかなぁと
思った。
天職をもとめてさまよい
今をみてこれなかった
自分の学びの先にあった
静かな心で
今にあれなかったことに懺悔の気持ちをもちつつ
感じたこと。
私もみなさまも
笑顔で健康で豊かでますます幸多き人生であります。