
この町にはもう住人はいなくなってしまったようだ。皆が戻ってくるのは相当先になりそう。
でも、震災後、2日後ぐらいですぐに自衛隊がきて、まっさきに捜索と人命救助をしてくれたんだって。

車や流れついた瓦礫も一カ所に集められていてスプレーで整理済?かなにかのマークが書かれていた。

そう、このマンションのより高い丘の上の住宅は普段とおり生活しているようだった。それはほんとに紙一重の差だったんだろう。しかし丘の住人たちもすぐ下まですごい勢いの波が来た時は恐怖だったに違いない。

車や瓦礫、マンションの処置、半年経った今でも整理されてだけでそこからは何も進んでいないようである。

フローリングが残った家などを見ると、何だか勝手に、ここにも笑顔の暮らしがあったんだなあと想像してしまって、やるせない気持ちになった。

そんな中でも希望の光は、今回の震災で日本中の人々からの協力する気持ちが見られたことであると思う。
GWがピークだったみたいだけど、現在でもひんぱんに復興支援のボランティアのバスツアーが来てるらしい。

ほんとにそんな話聞くと涙が出てくるよ。俺らはボランティア活動はしてないけど、音楽を通じて東北のバンドマンやお客さんに何かを感じて貰えたかな。

俺の好きなさとう宗典の青葉城恋歌。仙台城の敷地内にある建造物も地震で壊れてしまったみたい。

今回の訪問で、そして震災から5ヶ月経ったこの時期に爪痕を見れたおかげで、東京にいる時よりも震災の被害を心から感じられた。これからの俺たちのできることは、人それぞれだけど、ずっと忘れないことだと思う。
忘れなければ、募金でもいいし、東北地方のものを買ったり、旅行にいくなら東北にしようとか、何かしらの形でずっと東北の人の役には立てると思うから。自分に何ができるかを考えるだけで、普段の生活が復興に役立つものになっていくんだと思う。

伊達政宗の見守る杜の都仙台で、俺は大事なものを考えることのきっかけをもらった。
これを忘れずに普段の生活や、仕事や俺たちの音楽に生かしていきたいと思う。
ライブハウスennで出会った対バンの人たちともいい縁ができたし、東北地方ともこれからいい繋がりができればいいと思う。
深く刻まれた旅になった。
21日夜ライブ終了後、11時頃仙台を発った俺たちは、22日の明け方東京に無事戻って来た。
ありがとう仙台! また行くよ東北!