Night.147 慈しむ 真理を学ぶということ みんな俺の子だよ | 師に学ぶ

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唯一の師匠である悪魔祓い師「加藤好洋」さんから、人としての生き方、在り方を学び、実践して得た気づき等を書いていきます。

Night.147 慈しむ 真理を学ぶということ みんな俺の子だよ


https://youtu.be/zq1IJS6aLsY


いつも配信有難うございます‼️

こちらの動画を視聴した感想です。



『加藤さんが伝えている事』


動画の初めに、


聖書に書かれていることを伝えてきた。

と仰っていました。


しかし、聖書なんか読んだことなかったとも。


伝えている事が、今まで指導していく中での気づき、衝動として出て来た事というのは、まさに「イエスの衝動」という事です。


だから、師匠が伝えている事が聖書に書かれている事と重なるわけですね。




『慈愛、慈しむ心』



「愛する」という感情を持っているか?

と問われると、やはり持っていないのだろうと思う。


それは師匠がよく仰っている、


「本当なら人を愛せればいいんだけど、

ガキだから慈愛なんて持ち合わせてないでしょ。」


という言葉の通り、

自分のことにしか意識が向かないから。

自分のことしか考えていないから。



そもそも、


師匠の云う「愛情」と云うのは、


「慈愛、慈しむ心」


相手がどうであれ、永続的で変わる事なく持ち続けるもの。


慈愛は「神の愛」そのもの。



人間が生まれてきた目的と云うのは、

その「神に近づくこと」なのだそうです。


神に近づく事=その心である「慈愛」を持つ。

それが最終目的になってくる。



とはいえ、僕はまだまだ慈愛を持つには程遠く、

愛猫と妻から学ばせてもらっている状態です。



今まで自分は愛されたい、愛してほしいと周りに求めるばかりで、

なら自分は周りの人たちを愛してるのかと云うと……


それはただの恋愛感情。



愛は普遍的に変わらずに持ち続けられるが、

恋愛はただただ自分に都合よく求めるだけのもの。


動物的、獣的で低俗なレベルの低い愛。



人を癒し、治すことをしている自分が、

神の慈愛には程遠い状態というのを改めて認知する。


求めてばかりだった自分を省みて、

少しでも慈愛の心を持てるようにしていきます。




『天使と悪魔』


神は悪魔を見捨ててはいない。

悔い改める、救おうとしている。


この言葉を聞くと「神の慈愛」を少しだけ垣間見たように感じます。


相手がどうであれ、冷める事なく、

永続的に持ち続ける愛。



神は悔い改めることを待っているわけですね。



そして、そんな悪魔を救うために師匠が生まれて来た。


悪魔を救う事が出来るのは悪魔だけだから。



「天使と悪魔」というと善と悪という捉え方しか僕は出来ませんでしたが、天使と悪魔はどう違うのか?



・天使=思考=秀才=冷たい


・悪魔=感情=凡才



天使は清浄で厳格、一切の感情を持たない。

逆に悪魔は感情的。


人間はそもそも悪魔。


だから情がある。


潰そうともするけど、

守ろうともする。


こうやって見ると、

何とも人間臭さがあるというか、親近感を感じてしまう。


そして、自分の中の悪意を昇華させる事が救いになるというのも、この「情」があるからこそなのだと思います。




『死からしか学べない』


ブログでも、動画でも仰っていた事です。


「死」というのはやはり特別なもので、

僕も最近、動物の死を目の当たりにする体験をしました。

(そちらは別記事でシェアします)



今回は師匠が弟子や生徒から意識が外れた時、その事に気づき意識を戻した時が失う、死ぬ時と同じ想い、感情になるというお話でした。


それはやはり師匠がたくさん失う、死なせてしまったという経験をして来たからなのではないかと思います。


そこから学び、活かしてきたからこそ、「意識が外れた」というところでも同じような想いになったのではないでしょうか。


圧倒的な経験の差と、それをただ嘆き悲しむのではなく、活かし学びに変える事をしてきたから、今真理が分かるようになってきたと。


それを伝えていただけることの有難さと、自分も同じように過去の辛い経験をただ嘆くのではなく学び生かさねばと思いました。




『真理を学ぶということ』



真理を学ぶ、探し求め続けるということは、

分からないけれどもずっと考え続けるという事。


どれほど苦悩があろうとも、

分からない事だらけでも、

答えを求め続ける。


求めるという事は、考えるという事。



・求めよされば与えられん❗️



ここでも聖書の言葉が出て来ますね。



考え続けない人には答えは出ない。

それは答えを出すことを求めなかったからに他ならない。


妻はよく知っているのですが、

「わからないから」というのは僕の口癖です。


僕は少し行き詰まると「分からない」と云って、

すぐに考える事を放棄してきました。


師匠からの課題も「分からない」という言い訳をして、

やらない事もありました。


分からないからなら聞けば良いのに、それを誤魔化すのです。

何の為に学びにいき、指導を受けたのだろうか?


「分からない」から、自分はやらない。

でもなんとかして欲しいというのは、本当に傲慢でした。



自分の中に変わりたくない、今のままでいたい。

今のままで認めてもらいたいという欲求があったわけです。


変わる気がないから、そもそも変わる為の答えを求めていない。



「考えない人間には答えなんかずっと出てこない」



まさにその通りです。



しかし、それでも師匠は伝えてくれています。

学ぶ機会を与えてくれています。



伝えた事を理解されるかどうかは分からないけどと師匠は仰りますが、師匠が引き継いできた真理を学び伝えるという魂。


それを種として、弟子や生徒たちに植えてくださっている。



その真理の種を芽吹かせて花を咲かせる事も弟子の勤め。



「ある意味、みんな俺の子だよ」



動画では下ネタでしたが、それでもその言葉にはとても暖かいものを感じました。



自分の中の、分からないからやめる、やらないという仕組みを捨てて、

教わった事を、課題を只ひたすらやり続けます。


師匠を信じて、種が芽吹き、花が咲くまで続けていきます。



最後までお読みいただき有難うございました。



加藤好洋さんに関するサイト情報はこちらから


https://lit.link/exorcist#


https://akumabaraishi.com/