自分を愛するとは? | 師に学ぶ

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唯一の師匠である悪魔祓い師「加藤好洋」さんから、人としての生き方、在り方を学び、実践して得た気づき等を書いていきます。

こんばんは、中村悦久です。

 

皆さんは、

 

『自分で自分のことを愛する』

 

という言葉を耳にしたことはありますか?

スピリチュアルや、自己啓発などでよく聞きますよね。

 

しかし、「自分を愛する」ってよく聞く割には、

イマイチ意味が分からないというか、ピンとこないですよね。

 

先日トライアルコーチングを受けた方からも、

 

『色々なブログで「そんな自分を抱きしめてあげて」とか「愛してあげる」とか書いてあるのだけど意味が分からなかった』

 

とおっしゃられていました。

 

実際のところ、

僕も少し前までは「自分を愛する」ということがあまり実感できませんでした。

 

もちろん、「自分を愛する」ことの大切さは、

いろんなところで学んでいたので、

「自分を愛する」ためのワークをしてみてはいたのですが、

どうにも表面的で薄っぺらい感じが拭えませんでした。

 

頭では知っていても、体感として「自分を愛している」

という感覚を得られなかったのです。

 

ではそもそも、

自分で自分を愛するってどういうことなのか?

 

2つの例を挙げてみたいと思います。

 

1つ目は、

 

「人は孤独な生き物」

人は所詮、1人で生まれ、1人で死んでいく孤独な存在。

だからこそ、まずは自分が自分をいたわり、愛し、可愛がる必要がある。

そうでなければ、自分が可哀想です。

だから、自分だけでも愛してあげましょう。

 

2つ目は、

 

「自分は愛されている」

自分ていろんな人と関わり、そして支えられて生きている。

それって、「愛されている」ってことでもある。

良いところも、悪いところもあるけど、

その全てを受け入れた上で、「自分って、愛される存在なんだ!」と実感する。

自分は愛されている=自分を愛している

ということである。

 

 

さて、この2つの違いを分かりますでしょうか?

 

1つ目は、前提として「自分が可哀想だから」というビリーフがある。

自分が可哀想…つまり、自己憐憫からスタートした「自分を愛する」である。

(人が孤独な生き物であるかはどうか別ですが)

 

2つ目は、前提として「自分は愛されている」というビリーフがある。

自分は愛される…つまり、自己肯定からスタートした「自分を愛する」なんです。

 

自分って可哀想だな~っていう思いからのと、

自分は愛される!という思いからのとでは、

そのスタート地点こそ違います。

 

しかし、ともに「自分自身を感じてあげること」に関して言えば、

実は同じことをしています。

 

まずは自分が今何を感じているのかに意識を向けてみる。

それを続けていくことが、

「自分で自分を愛する」ことの実感へと繋がっていきます。

 

スタート地点の違いに優劣や良し悪しはないのです。

最終的にたどり着くところは、「自分で自分を愛する」ところなんですから。

 

「自分って可哀想だ」と思うものと、

「自分は愛される」と思うもの。

 

皆さんはどちらから自分を愛し始めますか?

 

「自分を愛する」ということがよく分からないという方は、

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