執着を手放すことで自由が得られる | 師に学ぶ

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唯一の師匠である悪魔祓い師「加藤好洋」さんから、人としての生き方、在り方を学び、実践して得た気づき等を書いていきます。

こんばんは。

 

リラクティブ・コア主宰の

中村悦久です。

 

「断捨離」が流行っている昨今。

皆さんは、何かを「断捨離」してみましたか?

 

僕は、「断捨離」とは違いますが…

 

先月、今まで自分のアイデンティティの大部分を占めていた「闘う」ことを手放してみました。

 

コレを手放したら、

「自分が自分じゃなくなってしまう」

という不安が強く、手放す事に強い抵抗があった。

 

しかし、いざ手放してみると…

そこにいたのは自分以外の何者でもなく、

むしろ今まで、「こんな重荷を背負っていたのか」と気づかされた。

 

いつどんな時も、

「闘う」ことを意識し、「逃げる」ことも「避ける」ことも、

ましてや「闘わない」ことなど考えられなかった。

 

常に「闘う」のが自分で、「闘わない」のは自分ではない。

今までずっとそう思って生きてきた。

 

そんな「闘う」ことを手放した。

 

手放してみて気づいたのは、

「闘う」ことそのものではなく、

「闘わなくてはいけない」という固定観念だった。

 

そこでふと思った。

「手放す」とはどういう事だろうか。と…

 

 何かを手放すというと、「諦める」や「放棄する」だったり、

「捨てる」、「断念する」という少しネガティヴなイメージがある。

(少なくとも、僕の中には)

 

じゃあ、僕がしたのは「諦める」や「放棄する」かというと、ちょっと違う。

 

僕がしたのは、「固執や執着」から自由になる事だ。

 

今までしがみついていたものから離れ、そこに一切の「ジャッジメント」をせずに現状の「ありのまま」を捉える。

 

そこには、

「~じゃなければいけない」

「~しなければいけない」

という思考や観念の固執、執着はない。

 

あるのは、

「やりたければやっても良いし、やりたくなければやらなくても良い」

そんな、自由な思考と選択肢だった。

 

 

闘っても良いし、闘わなくても良い。

 

 

「闘わなくては」という重荷がなくなった事で、

より自由で、自然体でいられる。

 

そして、今の方が以前の自分よりもずっと強い。

 

「闘わなくてはいけない」を手放した事により、

以前よりも素直に自分と向き合う事が出来る。

 

今の自分は、

シンプルに「強さ」を追求出来る。

純粋に「闘う」ことを楽しめる。

 

重荷を手放して、「内なる自分」に気づいたから。

 

 

闘っても良いし、闘わなくても良い。

 

 

どちらが良くて、どちらが悪いなんて事はない。

 

どちらを選んでも良い。

どちらも自分なんだから。