前回の続きです。
人間には「喜怒哀楽」がありますね。
私は幼い頃の体験から
自分でもわからないまま
「怒り」を感じることを封印していたようです。
この頃はやっぱり
まったく気づいていなかったのだけど
感情の中で「怒り」だけを感じないようにする
なんてこと出来ないのよね。
その他
「喜び」「哀しみ」「楽しみ」
の感情を感じる感覚も
私は同時に鈍くなっていました。
国内旅行をして 海外にも行って
嬉しく楽しい思い出の詰まった
当時の家族アルバムを見た娘が
「ママの笑顔が今と全然違ってた!
心から笑ってない!」
と言ったのね。
私もね
その頃の旅行の写真を見返してみたのだけど
笑顔 ほんとだ。
笑ってるけどなんだかぎこちない。
「え! こんなとこ行ったっけ?」
という位
写真にはちゃんと写っているのに
多くの記憶が飛んでいた。
記憶も表情も「感じる」からこそ
しっかり残るしはっきり表せるものなんだ
と感じ入った出来事でした。
これまで経験してきたことから
「怒り」は心の1番上のフタ
になっているんじゃないかと思う。
その下に「哀しみ」があり
またその下に「喜び」「楽しみ」がある
そんなイメージ。
2012年3月末
夫との不和で別居。
私が1人で家を出て
この時「怒り」のフタが
図らずもポーンと外れたのだと思う。
1人きり 誰にも気を遣うことなく
感情を感じられる環境になり
しばらくして やっと泣けた。
家族と一緒に暮らしていた時は
辛いとか苦しいと感じても
なぜか一切涙が出なかったんだよね。
泣けるようになってから
心から笑えるようにもなった。
夫は その後も
私を怒らせることをしてくれて
「バカヤロー――!!!」
と大声で怒号を飛ばしたら
なぜかその後 自然と
「ありがとう」
と言えた私がいたし。
その感情の大きな動き方と変わり方に
言った私自身が驚いたりして。
「怒り」は
そうしょっちゅう感じたい感情ではないけれど
本来の自分を思い出させてくれる最初のきっかけ。
とても大切な感情だと今は思います。
「怒らせる出来事」や「怒らせる人」は
確かにムカつくこと!
イヤなヤツ!
なのだけど
「感情ちゃんたちを認めて
外に出してあげよう
と刺激を与えてくれている」
と捉えたら?
それって
ありがたい出来事と人と言える。
人が「怒らせる」じゃなくて
自分が「怒る」と決めたんだ
と意識するのも大事。
でも ただポジティブ思考で
怒る事 怒る人
↓
ありがたい出来事と人
と一足飛びにするのは私は出来なかった。
ずっと仲間外れにしていた怒りちゃんを
ちゃんと 認めて 出して
仲直りしたかったんだよね。
怒りちゃんは「認められた」と感じると
「スッキリ~!」
というサインをわたしに送ってくれる。
「バカヤロー――!!!」
と夫に叫んだ時のあの爽快感
忘れられない
もそうだった。
遠く幼い頃の情緒不安定な
でも本来のわたしを
「そうそう この感じ」
と思い出せたんだよね。
あの時 父も母も
そんなわたしをそのまま受け容れてくれた。
家族はわたしにとって
怒らせて 怒りを受け止めてくれる
1番の悪役キャラなのね。
先日観た
最後に「この映画 好きだわ」になったのも
怒りちゃんのスッキリを
家族の中で存分に感じたから
(*^o^*)
思う存分
喜怒哀楽を体感して表現できるよう
家族という1番甘えられる舞台が
用意されているのかもしれないね。
感情のまま 自分を癒す
人から元気印に見られるけれど
人に弱みは見せられない
そんなかわいらしいあなたではないですか?
きっとあなたはたくさんの
心配りをしてきたのでしょう
がんばりましたね
今まで外に与えていたエネルギーを
今度は自分に与えてあげましょうね
悲しい時は泣く 怒りたければ怒る
そんな状況があれば
1人になったり
癒しの場に身を置くなどして
アレコレ考えず
そのままの感情を受け容れてみましょう
男性性 強さと優しさ 同調
タブーとされがちなこと
躊躇すること
今起きていることはそこにフォーカスさせています
優しい気持ちがあるからこそ言えなかったり
スルーしてきてしまったことを
もう1度見るチャンスです
望んでいるのは 同調ではないですか?
抑えている気持ちを解放すると安らぎに包まれます
自分の強さで誰かを傷つけたことがあったとしても
もう穏やかに内なる熱い思いを表現・発揮出来ますよ
お互いに調整を経て
同調へ向かっていきましょう
~ たまゆら占いより ~