こんばんは。
魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。
遅ればせながら
話題のこの映画 観てきました。
「ボヘミアン ラプソディ」
クイーンをオンタイムで知っている
夫と私。
クイーンは知らないけれど
現在音楽の道に進んでいて
「これは絶対に観たい!」
と言っていた娘。
3人で鑑賞。
夫も私も クイーンと曲は
ある程度知っているけれど
「ファンだった」とは言えない立ち位置で。
私は「ロジャー・テイラー カッコイイ!」
と思った覚えはあるけれど
それもホント ミーハーなノリで。
ボヘミアンラプソディの曲と曲名が
「ああ この有名な曲がそうだったんだ」
と一致したのも実は最近でして。
あしからず…。
以下 そんな私の感想で
素直に思ったままを書きたいので
クイーンファンの方には
誠に失礼な言葉が含まれるであろうことを
先に陳謝させていただきます。
あらすじは割愛しますね。
以下 ネタバレあるのでご注意を。
まず 観終わって1番の感想は
フレディ・マーキュリーって
こんなに純粋な人だったの!?
という驚き![]()
それまで私が持っていたイメージは
短髪 口ひげ
顔が濃ゆくてムキムキの筋肉質
パワフルなパフォーマンスからして
男気ムンムンなイカツイお兄ちゃん
怖そう~
クセ強いー
って失礼ながら当時は
外見でそう思ってましたね。
エイズで亡くなった
というニュースが衝撃的で
その方が印象が強かったくらい。
私の中では
エイズという病気と
今で言うLGBTを考えるキッカケ
となった人でした。
映画では
私が思っていた
フレディ・マーキュリーという人の外側が
ポロポロと剥がれ落ちっていった
ような感じでね。
わかりやすい外見とか
ド派手な衣装とか
マイクをブンブン振り回す
ステージパフォーマンス
ゲイ エイズ
そういう とかく取沙汰されていた
ほんの1部分のニュースを聞きかじって
知った気になっていたけれど
無類の猫好きだった
生い立ちや容姿に関して
たくさんのコンプレックスがあった
なんて 全然知らなかった。
バンドメンバーや大切な人を家に招待し
家族と一緒に食事をして
交流を大事にしていたのも驚きだった。
バンドやる人たちって
反抗心が強くて
当時で言うツッパリタイプ
だから
家族にも反発してたんじゃ?
って それも
勝手なイメージで思っていたから。
何があっても
息子を温かい目で見守るお母さん
そのお母さんを
何としても悲しませたくなかったのだろう
と知ってから聴く 曲内の
「ママァ~♪」
はまったく違って聴こえたし。
「ママが望むような男として
まっとうに生きられなくてごめんなさい」
って叫んでいるようだった。
メアリーに電話をかけて
一緒に乾杯しようという場面や
(メアリーは適当に合わせているだけ)
メアリーの部屋を見つめながら
スタンドをつけたり消したりする場面で
(メアリーはもういない)
な なんだ このかわいさは♡
と母性本能をくすぐられ![]()
あの辺から
イカツイお兄ちゃんが
「いたいけな小さな男の子」
に見えて仕方なかった。
メアリーに会えた喜びで
大はしゃぎした直後
新しい彼が出来たことを知った時の
天国から地獄へのような
ガビーン感![]()
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は
ってな感じで
「ちょっと ダダ漏れしちゃってるよ!」
と姉だか母だかの心境になっちゃった。
一時期 メンバーと離れて
反省の後に再会した時は
「席をはずして」と言われて
素直に部屋の外で待っている様なんて
廊下に立たされた子
みたいで
思わずクスッと笑ってしまったしね。
でも これが
音楽のこととなると一変!
オラオラ調の強気な言動だったり
決して信念を曲げない姿勢で
思い描いているものを絶対に創り出す!!
という想いが
メラメラと背後に燃えたぎっているかのようでした。
フレディはコンプレックスや苦難を
なんとかして克服しよう
というより
コンプレックスや困難を受け入れて
その上で
自分は自分として生きていく
と決めていったんだろうな。
でも 素直で 純粋だからこそ
規定から外れる自分の自由を求めて
受け入れていく過程の葛藤は
すさまじかっただろうし。
切り離そうとした仲間が
お前の弱点をさらすぞと脅した時も
「好きにすればいい」
と言い
結局その通り自分が売られた時も
ただ冷静に
その番組を見ているだけで
でも ものすごく悲しかっただろうし。
HIVに感染していることをメンバーに告げた時も
死と向き合わなければいけない辛い状況ながら
「自分が何者であるかは自分が決める」
とキッパリ!だったし。
映画の内容が事実と違う箇所はあるようだけど
決して悲嘆することなく
弱音も吐かなかった
という潔い生き様は最期まで貫いていたそう。
このギャップなんだろうな。
惹かれてしまうのは。
ある部分では
まったく自信なさ気で淋しがり屋で
でも ステージ上では
自信満々としか見えなくて
グダグダで情けないところもある反面
揺るぎない芯をズドン!と持っている
ひと言で言えば
愛されキャラなんだよね。
だから
どうしようもないことをしでかすけれど
周囲はどうにも放っておけなくて。
他のメンバー3人は本当に家族のようで
(なんていい人たちなんだ by 夫私娘)
「ったく コイツはしょうがねえなぁ」
とイラつきながらも
ついつい面倒をみちゃう。
そして
音楽の才能はもちろん
フレディ・マーキュリーという
その人のすべてを認めて
お互いに尊重し合っているのが
セリフではなく伝わるシーンが多々あって
ホロリ![]()
そうした背景をたっぷり見せられて
からのラスト!
ライブ・エイドのシーンなのでね
ただただ心が震え
滝涙となりました。
ボヘミアンラプソディーは
当時のフレディ・マーキュリーの想い
というか魂を込めた曲なんだ
ということはラスト映像の歌詞で納得。
でも 家に帰ってから 改めて
ボヘミアンラプソディーの和訳を見てみたけれど
全部の意味はよくわかりません。
解説されている人もいて
「なるほど」と思ったけれど
なんかもう
言葉でわからなくていいなと思った。
どれだけ想いがこもっているか
なんだなと。
他にも色々調べてみたら
激しい部分も確かにあったけれど
とても優しくて 思いやりがあって
接する人を大事にする方だったようですね。
エイズ闘病中も自分が苦しいはずなのに
「君を悲しませてしまってごめん」
と相手を気遣って謝ったとか。
恋人のジムにHIVが感染しては
と別れを切り出したけれど
ジムは最期まで一緒だったとか。
ジムも自分が既に感染していたのに
そのことをフレディには伝えなかったとか。
すごく思い合っていたのね。
フレディ・マーキュリーの
人となりに関する記事を読んで
とにかく家族や仲間やお世話になった人を
大切にしていたとか
猫ちゃんとのエピソードもあって
ほっこりしたり ほろっとしたり
心が温まりました。
そういう人の核となる本質が
純粋に込められると
圧倒的なパワーとなって
素晴らしい作品になって
形としてでなくても
ちゃんと人の心に伝わるんだろうな。
オンタイムで聴いた時も
まったく意味はわからなかったけれど
なぜか惹かれた曲だったのよね。
ガリレオ?
え!? なにこれ?
って1度聴いたら忘れられない
みたいな。
娘は映画で使われていた
ほとんどの曲知らなくて
知っている曲も
サビ部分しかわからなかったようだけれど
帰りには
「クイーン聴きたい! パパ持ってないの?」
と詰め寄ってたからね。
夫も
「リアルで知らない世代に
こんな風に響くなんて嬉しいなぁ」
と言っていて。
クイーンのアルバム
きっと娘に買わされることでしょう。
こうして世代を超えて
この映画が大ヒットしてるのも
今ほど寛容ではなかった時代に
フレディ・マーキュリーが
自分のアイデンティティやセクシャリティに
素直に真っ直ぐに生き
「自分が何者であるかは自分が決める」
という魂の想いに
私たちが感銘し共鳴するから
なんじゃないかな。
無邪気 純粋 好きなこと
たくさんのあふれ出るほんわか色のハート 輝く太陽
子供が持つような純粋な愛をイメージさせるカード
元々持っている屈託のなさや
「好き」に向かう気持ち
あなた自身は子供っぽいと思っている
そんな所がズバリ!
あなたの魅力☆ パワフルなエネルギーなのです
赤ちゃんが笑えば 自然と周囲も皆笑う
そんな純粋な愛を遠慮なく表現して
太陽の様に あなたの周りを
燦々と心温かく照らし続けてくださいね
岐路 決断 優先順位
いくつか処理すべきことがあるかもしれません
どの項目に目を向けるか
つまりは 自分にとって1番大切なことは何か
優先順位を決める時でもあります
どの道を選ぶか どう進むか
やり方や方法論も大事ですが
その時の自分の気持ちに自信を持って
最後まで責任を持つこともとても大切
人生は 選択 決断 行動の繰り返しですよ
二極 ギャップ 調和 行動
滝 風になびく髪 踊り あまたの虹
2つの間で行動 調和を司る など動きを示すカード
ここで大切なのはどういう気持ちで動くかです
黄色の楽しさ 紫の癒しが象徴するように
楽しんで心地良く癒されている時
あなたの魅力が最大限に発揮されるでしょう
気持ちよくダンスを踊るかのように行動出来るよう
周囲のサポートを得ながら 取り成していきましょう



