こんにちは。

魂響書占 たまゆらしょせん えりこです。

 

 

無邪気さを思い出す(1)

 

無邪気さを思い出す(2)

 


 

これらの星のカードが出ていた期間

私は ある言葉を何度も耳にしました。

 

それは 「認知症」

 


友達から 父が 母が 認知症になって… 

と言う話を聞いたり
テレビで認知症の老人ホームの番組を目にしたり。

 


この間も母が

降りるバス停の名前を一時的に忘れたり

実家滞在中「えーと 今何をするんだっけ?」

と 私の前で度々立ち止まる場面を見て

「認知症」という言葉が

心の中でクローズアップされていきました。

 

 

そして「認知症」で ずっと思っていたことが

心の奥からノックするように響いてきました。

 


 

 

話 変わって 時間遡ります。

 

 

2012年3月3日 別居を決意した日。


この日の様子や

前後に起こった不思議な出来事についてはこちら を。

 


3月3日って

実はプロポーズされた日なんです 25年前。

 


一緒に住むことを決めた日と

 

別々に住むことを決めた日が

同じだった…

 

なんでしょね コレ(^.^;)

 

 


2年半前の

そんないわくつきのひな祭りの日。


家族会議に夫側は義母しか来ませんでした。

 

義父は体調が悪い と言って。

 

 

最終的にその日

「私が1人で家を出ます」と宣言し

「ではそういうことで」と一応全員が納得した後で

義母がおもむろに言いました。

 

「実は…お父さんが認知症だと診断されたんです」 

 

と。


義父は診断を受けたばかりだったよう。

 


 

 

ひとまずその場はお開きになったのですが

私も両親も気持ちが揺れました。

 

 

「お義父さんがそういう事態で

 嫁として今家を出るのはいかがなものか」

 

「でも このままだとえりこは

 声が出ないくらいじゃすまないだろう。

 倒れてしまうかもしれない。」

 

 

「お義父さんのお世話をするのが常識的なのだろう」

 

という思いが私の中にもありました。


 

ですが その時の私は

激しい怒り 無価値感 落ちこみ…

 

声が出なくなったのもあって 正直

なにもしたくない なにも考えたくない心境でした。

 

 

「家を出ます!」

 

と言った時

怖さと同時に 

ホッと安堵したのを覚えてますから。

 


でも 同時にこの義父の話で

罪悪感がドッサリ 心に覆いかぶさったのも確か。


「嫁として それってどうよ」


子供たちを置いて 1人で家を出る


「母として それってどうよ」

 

という罪悪感。



 


 

そんな重い罪悪感から目をそむけ 

自分を守るために思ったのが 

こんな怒りの考えでした。

 


「お義父さんは 話し合いの場から逃げたんだ。

 

 夫も 息子が腹痛と頭痛で学校に行けず

 私が病院周りをしてる時 女に逃げた。


 ズルい男たちだ。家系なんだ きっと。」

 


自分が家を出ることを正当化したいのと


浮気発覚時に

「そうさせたあなたが悪かったんじゃないの」

「水に流して」

と夫を必死でかばっていた両親への復讐心


それに

私の気持ちに全く共感してもらえなかった哀しみが

何より大きかったと思います。

 

 

 

「本当はお義父さんのお世話をしなくちゃいけないのに」


と思うホワイトえりこと

 

「私は間違ってない!悪いのは向こうだ!」

 

心の中で叫ぶブラックえりこ

 

 

今だから落ち着いて分析出来ますが

当時は自分の気持ちやこの白黒の葛藤さえ 

よくわかっていなかった

感情自体を閉じていた私。

 

肌がボロボロに荒れ まつ毛がゴッソリ抜ける

というサインで 

その後身体が何度も教えてくれたっけ。

 


 

 

今 私の心の中に当時の怒りや葛藤はありません。
 

「お義父さんも自分を守ったんだ」


と 思うのです。

 


明日は来ると当然のように思っている私たちに対して

お年寄りは死へのカウントダウンが現実的。

 

死への怖れを感じさせず 

堂々と生きているお年寄りの姿に

畏敬の念を覚えます。

 

 

でも人によっては 

死に立ち向かう容量が様々で

「認知症」は死への恐怖を

「わからなく」してくれるものかもしれない

と 思うのです。

 


義父にはさらに別の思いも。


89歳の義父は戦地に行き 終戦後

シベリアで2年 抑留されたと聞いています。


本人の口からはなにも聴いたことがありませんが。

 


この冬 映画「永遠の0」を観たことをキッカケに

戦争のことを調べまくった時

自然と戦時中の義父に思いを馳せました。

 

戦地の地獄図 極寒のシベリア

多くの戦友の死をたくさん見たであろうお義父さん。

 


「お義父さんは

 どれほどの哀しい思いを胸に秘めているんだろう」

 

お義父さんの心 これ以上

哀しい思いを感じないよう

「わからなくなって」いるのかもしれない…

 

私が言うのもなんですが。

 

 

 

 

歳をとると子供に戻っていくと言いますね。

 

死への恐怖 哀しい思いなんて知らなかった

幼い子供のように 無邪気な心になって

旅立ち 還っていく

 

それがいいのだと思います。

 

無邪気でいて欲しいと思います。

 

 


あのひな祭りの日

 

「お義父さんは認知症なんだから!」

 

と私を罵倒したり引き止めたりも出来たのに

そうはしなかった義母にも夫にも

今は感謝の気持ちを

 

お義父さんには

今の幸せな日本と豊かな生活の基盤を創ってくださった

感謝の気持ちを


今は持てるようになりました。

 


私はこんな風にたくさん黒い弱さがあります。


見ようとも感じようともしなかった

弱さがまだたくさんある。

 

 

その弱さを思い出して 弱くてもいい

みんな無邪気でいいって思えるように


家族みんなが家から出してくれて

時間を与えてくれているのかもしれません。

 

 

 

敵がいる!と思うと

 

武装して構えてしまう

 

敵対する気持ちが向かってしまう

 

 

かと言って堂々と姿を現すことも出来ない

 

強がる弱者

 

 

もう武装も見張りもやめていい

 

 

 

~ 無邪気さを思い出す おわり ~

 

 


 

ジプシーカード 9 Enemy ライバル

 

人目  見張る 敵

 

人の視線を過剰に感じていませんか? 

 

または

あなたが誰かや何かを気にして見張っているのかも 

 

相手がどうするかは相手の自由で

こちらはどうすることも出来ません

 

相手を敵とみなすと  悪意がわき起こったり   

足がすくんで行動に移せないこともあるでしょう

 

相手や対象を違う視点で見てみましょう

 

敵と感じているのは心の中だけで

あなた自身の心の怖れと

戦っているのかもしれませんよ