昨日は私
短大時代の親友と会っていました。
新緑の新宿御苑を散歩しながら。
彼女とはここ2年
まったく会っていなかったのだけど
先週突然 メールが届いたのです。
パソコンをいじっていて
ひょんなことから私のこのブログにたどり着き
「最近の記事を夢中になってほとんど読んだ」って。
子供たちのことや感じたことを書いた記事を読んで
「家を出てから自分の道をしっかり歩いているんだな」
「子供たちも自分の足で歩んでいるんだな」
そして 「すごくすごく感銘を受けた!」って
熱い想いを綴り 近況と共に届けてくれました。
2年前 彼女と最後に会った時
私は夫との不和で別居する直前でした。
夫のひどい仕打ち
別居へと状況にも押されている
自分の本当にやりたいことが見えてきた
今までとは違う自分になる
そう息巻いて話す私に
その時 彼女は違和感を感じたよう。
話していて やりとりで
それは私も感じてました。
いつもは「もっと話したい」
という去り難い別れだったのに
この日はなにかしっくりしない
空しささえ感じるさよならとなりました。
そしてそのまま
淋しい気持ちをお互いに感じながら
自然と連絡も取らなくなり
疎遠になってしまいました。
彼女とは長いつき合いです。
今から12年前
私の息子が小2で初めてADHDのことがわかった時
同い年の彼女の息子も
ADHDと自閉症の混合だと診断された所で
そのことがきっかけで学生時代の時より
ずっと濃い関係になりました。
息子の学校でのトラブルや不登校のどん底の時を
互いに支え合い励まし合ってきたのです。
当時 夫は浮気に走っていて
はっきり言って 私は彼女がいなかったら
あの時を乗り越えられなかったと思います。
個性が独特で
不器用で
飛び出てしまい
非難される 息子たち。
当時ADHDは世間的に今ほど認知されておらず
ペアレントトレーニングでスキルを学ぶ前は特に
「わかってもらえない」哀しさや
「うまくいかない」無力感を
私はたくさん抱えていました。
そんな時
「これは息子たちの応援歌だね」って
SMAPの『世界にひとつだけの花』のCDを送ってくれた彼女。
〔小さくても大きくても
争うことなく ひとつひとつ違う種をもつ
どれもきれいで特別なオンリーワンの花〕
そのフレーズを何度も何度も
涙を流しながら繰り返し聴いた 私。
子供のことだけでなく
母として 妻として
ひとりの”わたし”として
悩み 迷い 相談し 励まし合い
あんなに意気投合していた私たちだったのに…
2年前のあの日 私たちは
わかり合えなくなってしまった…
つづく
がっかり 落ち込む
残念なことが起こったか
これから起こるかもしれません
悲しく 辛い気持ちの時に
すぐには思えないでしょうけれど
その状況はあなたにもたらされたギフト
とも言えます
泣くこと 悲しむことを 否定しないで
涙は最上の浄化なのですから