里中李生は、写真家である。

 

 

 

 

しかしその前に、累計260万部を越える作家であり、ぼくはその著書の乱読に没頭したあげく、11年前に脱サラし、一か八かの血沸き肉躍るような人生を歩むことになったのだけれど、そのあたりの話題はまた別の機会においておくとして、今回その里中さんとアートでプロジェクトを立ち上げることになった。

 

 

著作の一部

 

 

アート展「きりあと」というタイトルはすぐに決まった。

 

 

 

1人のヌードモデルを里中さんが写真に収め、ぼくがそれを切り絵にする。

2人の手法の違うアーティストが生んだ、同じ・・・いや双子のような作品を展示するアート展。

 

 

 

シャッターを切る者と、切り絵を切る者。

その「切り跡」がアートになる。

 

 

 

里中さんは本を書くかたわら長年、写真家としても名を築いてこられた。

 

グラビアアイドル、女優、といった女性たちから名指しで撮影現場へおもむく事もしばしばあった。

 

 

 

今回、この企画をやるにあたって里中さんは「モデル探しに難航する」と危惧された。

写真の世界はよくわからないぼくだったが、ヌードモデルが簡単に見つからないことは想像がつく。

 

紆余曲折を経て、名乗りを上げてくれた「きくちはな」に出会うまでの期間は、たぶん異例の早さだったと思う。

ものづくりの人間としてせっかちな部類のぼくと里中さんのためにアートの神様がさくさくことを運んでくれた・・・気がする。

 

 

 

さて、今回のブログでぼくが言いたかったことは、あらためて里中李生という写真家の力量にうならされたことだ。

 

これまでこの人の写真を見てきて、当然腕をもつことは知っていたが(そのあたりの細かい技術論はさておきます)、再認識できた。

なにせ今回はモデルのビフォーとアフターを目の当たりにできたのだから。

 

 

 

きくちはなの自撮り(ぼくはまだご本人に会っていない)、里中李生の撮った写真。

どちらも同一人物でありながら表情も、構図も、光も違う。

 

 

 

「プロなんだから当たり前だよ」

と優しくほほえむ顔が目に浮かんできそうだが、本当に素人目に見ても違うのだ。

 

また、昨今の写真家と里中李生の決定的な違いは「いっさい加工にたよらない」という点だ。

これはめちゃくちゃ大きい点である。

 

クリエイトの全ジャンルにおいて、デジタル技術の向上は幅をきかせている。

でもみんな知っている。

ライブ感には結局一ミリも勝てないことを。

 

 

 

里中李生は四六時中、どんな場面でも「画(え)になる風景」を探して生活している。

これは、いつも理想の美へ手を伸ばし続けて前向きに生きるという、ちょっとしたポジティブなロジックに近いものがある。

誰でも言葉尻だけつかまえて理解できそうなことではある。

でもそんな屁理屈ではなく、ただただシンプルなアーティストの想いがそこにはどっしりと存在する。

 

 

 

 

「あとで加工すればいい」

という向き合い方ではなく、日々つちかった創作意欲をもってその場と調和する「ライブ感」を大事にしたアナログの底力と言える。

 

 

 

たぶん、これから、きくちはなはもっと良い表情になっていくだろうな。

 

ぼくはそんな確信を得た。そしてぼく自身、それに負けないように臨むつもりだ。

興奮してきた。なにかの試合のような気分。

 

 

写真×切り絵/画期的なアート展「きりあと」
クラファンがスタートしました

 

 

 

【3月の展示・イベント情報】

【展示】

終了しました●「猫を愛する芸術家の仲間達2024」

2/22~3/3

===

【パフォーマンス】

3/23(土)TORES(姫路市)

 

切り絵アーティストHachi

 

【切り絵アーティストHachiのwebサイト】

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