彼は「芸術とダンスする」ために生きている。彼が作品を支配するのではなく、作品が彼の肉体を動かすのだ。彼の手を、彼の生活を。バンドマンを目指し夢破れた20代も、引っ込み思案な性格を打破するために飛び込んだ会社でトップセールスマンにまで上り詰めた30代も、すべてはこの「芸術とのダンス」というステージへの道のりだった。

1975年、彼は生まれた。かの世界遺産・姫路城をベランダから見据えることができる、県営住宅に育った。決して裕福ではない家庭に一人っ子で育った彼にとって、映画、漫画、TV、そして絵を描くことが世界のすべてであり、そのどれもがお金をかけず両親に迷惑をかけることのない遊戯だった。彼は幼い頃から意図せずして、芸術的素養に磨きをかけたのだった。絵は鉛筆かボールペンを使って、折込チラシの白紙に気が済むまで描いた。ひたすら本物に近づくように、納得いくまで。紙はいくらでもあるのだから。

ただただ自分のために描くのも楽しかったが、学校の先生を模した似顔絵がクラスメイトに受けるのが楽しくて、何より意中の女の子が笑ってくれるのは至福の気分だった。

絵を描くのが本当に好きな彼だったが、10代のうちにそれを一生の仕事にと考えるほどの強い動機を持てなかった。彼をもっと夢中にさせたのは音楽だった。ギターを手にし、バンドマンとして生きていこうと都会へ出るも、契約した事務所に騙され、借金を背負い故郷へ戻る。この時、彼は世間知らずな自分の無学さ、弱さを知る。また、自分が井の中の蛙であったこと、そして誰かを憎んだり何かのせいにすることの無意味さも。また、「音楽で生きるのが夢」という自分自身も疑ってみた結果、それは「何かから逃げているだけかもしれない自分」の存在と向き合う。

そしてそのことをふくめて彼は確認をしたいと思った。いやそうすべきだった。「自分の本当の欲望は何か」を知るのだ。20代後半に差し掛かり、彼は決意する。

「自分のしたいこともすべきことも分からない。けれど、したくないことだけはわかる。そしてなぜしたくないのかは分からない。それをとことんまでやってみよう、何か分かるかもしれない」

内気で引っ込み思案な彼がしたくないこと、それは営業マンの仕事だった。彼はひとつの場所でトップを目指すということから逃げてきた自分を、営業の会社へ就職させた。トップセールスマンになる、ということが自分の救済になると信じたのだ。しかしそれは「幸せになる」ということとは別の行為であると数年後に彼は知る。人と出会い、話し、理解または理解に近いようなコミュニケーションを経て、人と話すのが苦手だった彼はその中で喜びを見出す。そしてトップセールスマンの座にも就き、人望も得た彼だったが会社内での足の引っ張り合いや策謀、パワハラに疲れた彼は新たな道をいつしか見出していた。

「俺は絵を描きたい。この世界を、人間を、自分の希望や欲望を描きたい。それが俺が本当に救われることだ」

彼はまた、こうも思っていた。

「いま俺は芸術に救われようとしている。つまりその人が好きなことはその人自身を癒す。もしこどもたちが一人でも多く、そして一日でも早くそれを見つけることができたら、世界から犯罪が少しは減る」

サラリーマンの間に蓄えたわずかな貯金を元手にしてローンを組み、アトリエを有した家を建てた。そこで絵画教室を開き、そして思う存分、絵を描くためだった。彼は絵を描くのは好きだったが、そのスタイルには何もこだわりがなかった。それは早く見つけるべきと思い、教室で教えつつひたすらいろんな画法に手を着けた。新たなことではなく、これまでに自分がやってきたこと、そして「何が受け入れられやすいか」ではなく「何が自分に合っているか」を探るのだ。

そして、「線を描く、色を着ける」に加えて「切る」という作業がプラスされた切り絵という描き方を彼の芸術として選んだ。色彩感覚というのはその作家の生まれ育った環境に大きく起因する。彼の生まれた日本という国には、西洋絵画ではあまりなじみのない黒という色が多く見られる。髪の色、目の色。その彼が西洋絵画の物真似ではなく、黒を基調とした切り絵を選んだのは純粋な心のままの衝動からと言ってもいいだろう。西洋絵画の中心で世界に受け入れられやすい、油絵というものを選ばなかったのだ。

彼はミュージシャンと共演して巨大な黒いキャンバスを切り抜いて切り絵を描くパフォーマンスも行う。しかし基本は一人きりのアトリエにこもり、途轍もない時間をかけて作品を制作する。一時期、彼は少しでも早く1作を仕上げ、金回りをよくすることを心掛けていた。食べていくためにはとても重要なことだ。しかし彼はある時点で気が付いた。「良い作品を早く作る、これは俺が作品を作り、支配するというやり方だ。しかしあまりうまくいかないのは俺が天才じゃないから。時間もクオリティもふくめ作品を支配できるのは、ピカソやマティスのような天才だけだ」

芸術を作ることでしか、叶わなかった恩恵を彼はたくさん受けている。出会うはずのなかった人々と出会い、行くはずのなかった場所に赴き、知るはずのなかった知識を、経験を得た。これらはすべて芸術のおかげだ。つまり彼は芸術を作る者ではなく、作らせてもらっていると自覚したのだ。

彼はアトリエで静かに心で問いかけながら手を動かす。うまくいかないことに苛立ち、うまくいったことに胡坐をかく彼はそこにはもういないのだ。彼は芸術とダンスする。線も、色も、彼は静かに動くことで次はどうすべきかを知る。彼はときどき完成したくない、とすら思う。それほどこのダンスの時間が心地いいのだ。彼にとって、良質な作品が完成しそれが高値で売れ、大金を手することの前に大事なことがある。この瞬間を味わう。そしてぼんやりと見えている作品を、この世へ降臨させることが欲望だ。彼の作品のモチーフのほとんどは女性だから、そう、彼女をこの黒いキャンバスへ連れてくることが彼の欲望。そしてあなたの心を侵食するものが甘いものを食べたときの幸福感であったり、愛する人と手をつなぎたくなるような安心感だったり、懐かしい気分だったり。そうであるはずと確信している。

 

 

 

切り絵アーティストHachiのnote

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