粛宗と郭子儀の合流 | 歴史で旅する

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年表⑤

 

玄宗と別れ、

霊武(寧夏回族自治区銀川市)を本拠地とした粛宗。

 

霊武には、朔方節度使・郭子儀がいました。

 

 

李光弼と共に、郭子儀は何度も登場していますが、

ここで、郭子儀について簡単に紹介しておきましょう。

 

郭子儀は華州(陝西省渭南市)出身で、

190cmの大きな身体の持ち主でした。

 

父・郭敬之は5つの州の刺史を歴任した官僚でしたが、

郭子儀が幼い頃に亡くなりました。

 

当時、父が官僚を務めていれば、

その子どもも官職にありつける時代でしたが、

父を亡くした郭子儀は、

自らの力で、武挙(武官を選ぶ試験)に合格し、

単于副都護・振武軍使を歴任しました。

 

そして、もともと、安禄山の従兄・安思順が朔方節度使を務めていましたが、

安禄山が挙兵したため、安思順は長安に戻され、郭子儀が引き継ぎました。

また、郭子儀は衛尉卿(衛尉寺の長官)、霊武郡太守を兼任していました。

 

唐軍の中で、郭子儀と李光弼は最も注目されている武将。

 

郭子儀はタングート(チベット系民族)の兵を集めて、精鋭部隊を築いていました。

 

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