粛宗即位 | 歴史で旅する

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年表⑤

 

玄宗と別れた皇太子・李亨は霊武(寧夏回族自治区銀川市)に向かうことにしました。

 

 

実は、李亨は朔方節度大使を務めた経験があり、

霊武に駐屯している兵は李亨と顔見知りだったんです。

 

全く知らない兵が駐屯している場所より、

顔見知りの兵が駐屯している場所に向かうほうが、危険が少ないですよね。

 

李亨が霊武に向かっていると知った朔方留後・杜鴻漸、水陸運使・魏少遊は、

李亨を礼部で迎える手筈を整えました。

杜鴻漸は「朔方の兵と食糧を集めて、皇太子をお待ちしています」と連絡しました。

李亨は喜んで、急いで霊武に向かいました。

 

霊武に着くなり、宦官・李輔国は、皇帝に即位するよう、李亨に進言しました。

 

「蜀へ向かう陛下より、

唐軍を率いる皇太子が皇帝の座に就いたほうが、

軍の士気が上がります」と言ったんです。

 

756年8月、李亨は46歳で、自ら即位しました。

(以下、李亨 → 粛宗)

 

通常、皇帝に即位すると、盛大に式典を開催するものですが、

反乱の真っただ中であり、玄宗から譲位されたわけでもありません。

 

「盛大に式典を開催しましょう」という臣下の勧めを、粛宗は断りました。

 

粛宗は使者を遣わせ、玄宗に即位した旨を伝えましたが、

粛宗が即位したことを知ったのは、即位してから一ヶ月後。

 

玄宗は「もともと譲位するつもりだったけど、一言も相談なく、自ら即位するとは」と、粛宗の行動に落胆しました。

でも、粛宗に気を遣ったのか、

玄宗は「長安を奪還できても、もう、私は政治には関わらない」と粛宗に手紙を送りました。

でも、粛宗はその手紙を読まずに放置しました。

玄宗と粛宗はお互いに気を遣い合いました。

 

こうして、玄宗は太上皇となりました。

 

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