玄宗と別れた皇太子・李亨は霊武(寧夏回族自治区銀川市)に向かうことにしました。
実は、李亨は朔方節度大使を務めた経験があり、
霊武に駐屯している兵は李亨と顔見知りだったんです。
全く知らない兵が駐屯している場所より、
顔見知りの兵が駐屯している場所に向かうほうが、危険が少ないですよね。
李亨が霊武に向かっていると知った朔方留後・杜鴻漸、水陸運使・魏少遊は、
李亨を礼部で迎える手筈を整えました。
杜鴻漸は「朔方の兵と食糧を集めて、皇太子をお待ちしています」と連絡しました。
李亨は喜んで、急いで霊武に向かいました。
霊武に着くなり、宦官・李輔国は、皇帝に即位するよう、李亨に進言しました。
「蜀へ向かう陛下より、
唐軍を率いる皇太子が皇帝の座に就いたほうが、
軍の士気が上がります」と言ったんです。
756年8月、李亨は46歳で、自ら即位しました。
(以下、李亨 → 粛宗)
通常、皇帝に即位すると、盛大に式典を開催するものですが、
反乱の真っただ中であり、玄宗から譲位されたわけでもありません。
「盛大に式典を開催しましょう」という臣下の勧めを、粛宗は断りました。
粛宗は使者を遣わせ、玄宗に即位した旨を伝えましたが、
粛宗が即位したことを知ったのは、即位してから一ヶ月後。
玄宗は「もともと譲位するつもりだったけど、一言も相談なく、自ら即位するとは」と、粛宗の行動に落胆しました。
でも、粛宗に気を遣ったのか、
玄宗は「長安を奪還できても、もう、私は政治には関わらない」と粛宗に手紙を送りました。
でも、粛宗はその手紙を読まずに放置しました。
玄宗と粛宗はお互いに気を遣い合いました。
こうして、玄宗は太上皇となりました。
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