李治との恋 | 歴史で旅する

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心労が重なったのか、高句麗遠征に失敗した太宗は、

47歳を過ぎた頃に、体調を崩し始めました。

体調が悪化する太宗を見て、武照はふと気付きます。

 

「陛下が崩御したら、私はどうなるのかしら?」

 

当時、皇帝が崩御したら、

宮中で子どもを授かった女性以外は皆、出家していました。

出家すると、髪を剃って尼僧になり、俗世を絶たなければいけないんです。

 

宮廷入りして間もなく、太宗から遠ざけられてしまった武照は、

子どもを授かるわけがありません。

 

「このまま人生を終えるなんて嫌!」

 

そう思った武照は、宮中で生き残る作戦を練ることにしました。

でも、作戦を練るには、宮中の事情を詳しく把握しなければいけません。

 

そこで、武照は才人の給金を宦官に渡し、

宦官と親しくなって、情報を得ることにしました。

 

宦官とは去勢された男性で、

皇帝の命令を重臣に伝達したり、

皇帝や后妃の身の回りのお世話をしたりしていました。

つまり、宦官は情報をたくさん持っていたんです。

 

後宮の婦人達は皆、太宗の寵愛を受けようと、

給金のほとんどを衣服や化粧品につぎ込んでいました。

でも、太宗から遠ざけられていた武照は、オシャレする必要がありませんでした。

 

また、毎日、武照は内文学館に通いました。

 

内文学館とは、教師(宦官の儒学者)が夫人に学問を教える学校のような施設で、

読み書きや算数はもちろん、書道や詩文、儒学を学ぶことができました。

 

そして、武照は宦官から情報を得ると、

寝込んでいる太宗のお世話係をかって出ました。

 

今まで武照を遠ざけていた太宗ですが、太宗は武照を遠ざけませんでした。

 

実は、太宗の臣下の中に、安(ベトナム付近)の出身で、

衛将軍で玄門の宿衛を務めている李君羨がいて、

李君羨の幼名が「五」だということが発覚したんです。

 

「唐を滅ぼす武女王というのは、李君羨ではないだろうか」

「よく考えたら、武照のような小娘が唐を滅ぼすなんて無理だ」

 

そう考えた太宗は、李君羨を陜西省に左遷し、

頭を長年悩ませてきた問題を解決していたんです。

 

これは、武照にとって、ラッキーな出来事ですね。

(李君羨にとっては、アンラッキーですが💦)

 

さて、今までずっと遠ざけられていた武照は、

何故、太宗のお世話係に手を挙げたのでしょうか。

 

武照の狙いは、太宗の回復ではなく、皇太子・李治でした。

 

太宗が崩御すれば、後を継いで、皇帝になるのは李治です。

 

「李治に気に入られることこそ、私が生き残る唯一の道」

 

武照はそう考えたんですね。

 

バッチリと化粧をして、華やかな姿で太宗を看病する夫人達に対して、

薄化粧で、地味な衣服を身にまとう武照は、李治の目にすぐに留まりました。

 

8歳の時に母・長孫皇后を亡くした李治は、

5歳年上の武照の温かさに惹かれました。

 

体調を崩している自分の横で、二人が愛を育んでいるなんて、

太宗は思いもしなかったでしょう。

 

こうして、武照の狙いどおり、李治の目に留まり、二人は恋仲になりました。