映画観賞……それは〈中略〉……めっちゃコスパの良いエンタメ……。

 これは……〈中略〉……好きな映画について、いい加減な知識と思い出を元に‥‥‥いい加減な知識と思い出を元に!! ‥‥‥筆者の徒然なるままに書くコーナーである。

 

 

 

 

▼『映画を語れてと言われても』

 

 

 

 TODAY'S
 
第一一九回『願い叶えたくば、まず思い描くことから……“ネバーエンディング・ストーリー”』


 




 タグ:ファンタジー 読書 空想 少年 

 

『ネバーエンディング・ストーリー』

1984年公開

原作:ミヒャエル・エンデ

監督:ウォルフガング・ペーターゼン

音楽:クラウス・ドゥルディンガー ジョルジオ・モロダー

出演:   バレット・オリバー ノア・ハザウェイ タミー・ストロナッハ

 

 

 あらすじ

 母を亡くして以来、父との間に溝が生まれ、逃避するように読書に夢中になった結果学業成績も低下し、学校でもいじめられている少年バスチアンは、ある日いじめっ子からの逃走中に古びた本屋へと逃げ込んだところ、そこで『ネバーエンディング・ストーリー〈果てしない物語〉』という本を見かける。

 なぜかその本が猛烈に気になったバスチアンは、思わずその本を店から持ちだし、学校の物置小屋で早速読書を開始するのであった。

 

 その本の内容は、ファンタージェンという異世界を舞台にした冒険物語であった。

 〈虚無〉と呼ばれる災厄に見舞われ、滅びの危機を迎えていたファンタージェンでは、その世界を統べる姫〈幼心の君〉の元へ生き残った者たちが集まっていた。

 しかし〈幼心の君〉もまた謎の病に伏せっており、ファンタージェンの救済は、彼女によって使命された一人の少年アトレイユに託されることとなった。

 すぐさまファンタージェンと姫の病からの救済の方法を探しに、愛馬アルタクスに乗り、ファンタージェンじゅうを駆け巡る旅を始めるアトレイユ。

 

 しかし、ファンタージェンを救う術は探せど探せど見つからず、アトレイユは悲しみを抱くものを底へと引き込む〈憂いの沼〉に住むファンタージェン一の賢者モランの元に、最後の希望をかけて向かう。

 かけがえのないものを犠牲にしつつ、なんとかモランの元へとたどり着いたアトレイユは、モランにファンタージェンと姫を病から救う術を尋ねるが、モランはその答えを知らず、もし答えが見つかるとすれば、現地点から1万マイル彼方の〈南のお告げ所〉に行って尋ねるしかないと教わる。

 しかしそんな長距離を移動する術など、今のアトレイユには無かった。

 

 絶望に包まれながらモランの基を去ったアトレイユを、〈憂いの沼〉が容赦なく引きずりこまんとする。

 だがそこへ幸運のドラゴンの〈ファルコン〉が駆け付け、間一髪でアトレイユを救い出す。

 

 

 はたして、アトレイユは無事ファンタージェンと姫を救い出す術を見つけ、実行することが出来るのか!?

 『ネバーエンディング・ストーリー〈果てしない物語〉』を読み進むバスチアンに待ち受けていたものとは!?

 

 

 

 

 

 

 

 さて今回は、今も生み出され続けるファンタジー作品の始祖が一作にして、不朽の名作について語りたいと思います!

 

 

 

 

 監督はヴォルフガング・ペーターゼン。

 本コーナーでがブラッド・ピット主演の『トロイ』、ハリソン・フォード主演の『エアフォース・ワン』、クリント・イーストウッド主演の『ザ・シークレットサービス』を監督したお方。

 なんか撮る映画のジャンルの幅が広すぎな気がしますが、ともかく筆者好みの映画を撮る監督なのです。

 まさかファンタジー映画まで撮れるなんてね!

 

 

 

 原作はドイツ出身のミヒャエル・エンデというお方の書いた同名の児童文学。

 その他のミヒャエル・エンデの作品としては『モモ』なんかが有名ですね。

 

 

 

 音楽を担当したのはクラウス・ドゥルディンガーというお人。

 ヴォルフガングペーターゼン監督とは、彼の映画デビュー作『Uボート』でも組んでおり、その音楽は壮大にして爽快。

 本作のBGMが後の映画やそのほかの音楽に与えた影響は少なく無いと筆者は思っています。 

 実際聞いて見れば、あ‥‥‥聞き覚えある! となったり、どっかで聞いた曲と似てる‥‥‥‥となったりするかもしれません。

 

 そして忘れてはならないのはジョルジオ・モロダー作曲による主題歌『THE NEVER ENDING STORY』です。

 この一度聞いたら思わず口ずさむレベルの名曲は、本作を未見でも、誰しもがどこかで耳にしたことくらいはある気がします。

 なにしろ2020年代の今でも日本のCM曲で使われてるくらいなのですから。

 この主題歌の存在が、本作の魅力の1割は担っているといっても過言ではないでしょう。

 

 

 

 主演は子役中心で、バスチアン役のバレット・オリバーも、アトレイユ役のノア・ハザウェイ、〈幼心の君〉役のタミー・ストロナッハと聞いても、多くの方にはピンとこないかもしれません。

 ‥‥‥しかしながら三人とも超~美男子美少女です。

 特にアトレイユ役のノア・ハザウェイは、言われ無きゃ性別不明なレベルの、まさしく美少女のような美少年であり、その美貌は本コーナーで紹介してきた数々のヒロイン役の女優の方々と比肩しうるレベルであす。

 本作の魅力の何割かは、(何割かの人にとっては)ノア・ハザウェイが担っているといっても過言ではないかもしれません。

 

 

 

 

 

 そんなスタッフ・キャストで作られた本作は、公開当時、物心ついた筆者が映画館で見た最初期に映画です。

 まだ字幕もよく読めない筆者を、家族が連れて行くレベルで、公開当時ブームになるほどヒットしていたとも言えるでしょう。

 筆者は初見当時は当然何がなんだか分からず、楽しむどころか怖くて怖くてたまらなかったものですが、後年見直し、本文章執筆にあたって見直し、やはり本作が名作であることを再確認した次第です。

 

 

 

 その魅力の何割かは、前述したように、今でも影響を及ぼす音楽の素晴らしさと、キャストの素晴らしさがあります。

 

 ‥‥‥ですがもちろんそれだけではありません。

 本作が現在でも語られる名作となった理由は他にもあります。

 

 

 その一つは、まず1980年代に映画業界で華開いた特撮技術の粋を結集し、なおかつそれをファンタジー世界の描写に使った最初期の映画であるという理由がある気がします。

 

 思えば1980年代は、『2001年宇宙の旅』を切っ掛けに、『スターウォーズ』『スタートレック』『ET』『バックトゥザフューチャー』『ゴーストバスターズ』などなどなど‥‥‥特撮技術を駆使したヒット作が数多く生まれた年代でした。

 もちろん特撮技術の粋と言っても、まだCGのシの字も無い時代の技術ですので、使われる技術は模型や合成やアニマトロニクス技術の数々です。

 そんな中で生まれた本作は、同じ特撮技術を使う対象を、ファンタジー世界の景色や建築物、数々の不思議な生き物の表現に使ったのです。

 山のような巨大亀や、岩で出来た大男、高速移動する馬サイズのナメクジ、象牙で出来た巨大な塔や向き合った二頭のスフィンクス像、虚無によって破壊される世界の描写などなど、公開当時の観客にとって、それはとても鮮烈な映像だったに違いないと思います。

 後年になり、本作続編やその他のファンタジー映画が多々作られることになりましたが、本作がそれらの中でも鮮烈に記憶されているのは、その特撮技術が、ヴォルフガング・ペーターゼン監督をはじめとしたスタッフ陣のセンスの賜物な気がします。

 そして、中でも忘れてはならないのが、その特撮技術を駆使して描かれたラッキードラゴンの〈ファルコン〉です。

 ドラゴンなのに〈ファルコン〉という名前で、しかも未見の方にはここでの文章説明からは想像もつかないような、プードルと白イグアナを混ぜて巨大化させたような人語を解する謎の不思議生物なのですが‥‥‥、アトレイユの良き相棒としてピンチの時に駆け付け、時に助言をあたえるイケメンならぬイケドラゴン? なのです。

 この見事に映像化されたファルコンこそが、本作を代表するイメージキャラクターであり、本作の魅力の幾割かを担った名キャラクターだと思うのです。

 



 

 

 そして残る本作の魅力は、本作がただのファンタジー世界を描いた映画ではなく、現実とファンタジー世界‥‥‥あるいは現実と物語との橋渡しを試みた最初期の作品であるということです。

 本作は、例えば『指輪物語』のように、ファンタジー世界を舞台にした物語“のみ”を描いた作品ではありません。

 アトレイユ達が生きるファンタジー世界のみならず、バスチアンの生きる現実社会もまた、本作を形成する重要なピースなのです。

 

 しかして、一体どうやって本作は現実社会とファンタジー世界とを繋げたのでしょうか?

 その部分こそが本作の最大の肝にして、魅力の部分だと思うのですが、それは同時に本作のオチにも関係しております。

 そこで!!

 

 

 

(※ここから先の文章には、本作のオチに関わる内容が含まれております。

 本作未見の方はなるべく本作観賞の上、以降の文章をお読みください)

 

 

本作終盤のあらすじ

 〈南のお告げ所〉で〈幼心の君〉を病から救うには、ファンタージェンの果てから〈人間の子〉を姫の元に連れて来て、その子に姫の新しい名前を決めてもらうしかない‥‥‥と告げられたアトレイユは、ファルコンに乗りファンタージェンの果てを求めて東奔西走するが、結局人間の子を見つけることは叶わず、ファンタージェン世界は崩壊する。

 失望の中、唯一残った姫の住まう〈象牙の塔〉に帰ったアトレイユは、そこで〈幼心の君〉と初めて対面し、見事〈人間の子〉を連れて来たと感謝され困惑する。

 自分は〈人間の子〉など連れて来ていないのに何故感謝するのですか? と問うアトレイユに〈幼心の君〉は『あなたは確かに連れてきた、バスチアンという少年を‥‥‥』と答えるのであった。

 

 

 

 

 そうです!

 実はバスチアンの読んだ『ネバーエンディング・ストーリー〈果てしない物語〉』には、バスチアンのことが書かれていたのです。

 そして〈幼心の君〉が言うところのアトレイユが〈人間の子〉を連れてきた‥‥‥とは、アトレイユが物語の主人公として、バスチアンが『ネバーエンディング・ストーリー〈果てしない物語〉』を途中で辞めることなくそこまで読み進めさせた‥‥‥ということを指しているのです(個人的解釈アリ)!!

 

 実はファンタージェンという世界は、人間の空想力によって生み出された世界であり、ファンタージェンを蝕む〈虚無〉という脅威は、人間が空想する心を失ったことで発生した現象だったのです。

 故に、ファンタージェンを救えるのは読書好きで空想好きの少年バスチアンの助けが必要だったのです。

 

 

 

 

 

 アニメマンガ小説ゲーム等々に、あらゆる形でファンタジーモノが溢れた2020年代の今であれば、このファンタジー世界と現実とが交錯する4語のオチと根幹設定は真新しいモノでは無かったかもしれません。

 しかし、1980年代の時点で、このオチと設定を描いたことは、実に衝撃的であったと思います。

 

 

 読者(あるいは観客)自らが物語に飛び込んだりして、思うがままに影響を与えたいと思うのは、ある意味読者(あるいは観客)の夢のようなものなのですから‥‥‥。

 

 現代においては、ゲームでその欲求はある程度叶えられていそうですけどね。

 

 

 ともあれ、筆者は本作の、物語を読む側の勇気や願いが、物語そのものを救うこともあるエンドに、とても救いを感じたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし本作のこのオチと設定は、ただ読者(あるいは観客)がファンタジー世界に影響を与えたり、飛び込んだりできるというだけではありません。

 ファンタジー世界からも現実に影響を与える場合もあるということを忘れてはなりません。

 

 

 実は本作は原作であるミヒャエル・エンデの『果てしない物語』の前半のみを映画化した作品であり、原作のはこの映画のその後の物語があるのです。

 それはザックリといえば、ファンタージェン内へと飛び込んだバスチアンが、その世界に耽溺してエラい目に合う話だそうで、エンタメ映画としてみれば、そこまで映画化しないのも納得の話ですが、原作者ミヒャエル・エンデ的に大変不服だったそうです。

 まぁ原作者として当然の反応ですよね。

 

 

 

 

 

 ‥‥‥ってことで、ここでいつものトリビア。

 アトレイユは原作では緑色の肌。

 同じく原作ではファルコンは西洋のドラゴンではなく、東洋の竜。

 〈幼心の君〉の原作者のイメージは着物を着た黒髪の日本のお姫様だそう。

 

 

 

 ‥‥‥ってなわけで『ネバーエンディング・ストーリー』もし未見でしたらオススメですぜ!