なが~い途方もない漂流のはじまり !!
船長日記によると、郷土の偉人になった船頭重吉が乗った。督乗丸が御前崎沖で嵐合い漂流して来年が200年(2013年)を迎える。そこで「千石船漂流200年目 海の男 船頭重吉の会」は、紙芝居などの行事計画中
督乗丸の乗組員
沖船頭 重吉 三河国吉良荘佐久島生まれ
尾張国知多郡半田村荒古 29才
賄い 孫三郎
尾張国知多郡半田村 西町
舵取 藤助
尾張国知多郡半田村荒古
水主 庄兵衛
尾張国知多郡半田村西町
水主 半兵衛
尾張国知多郡亀崎村
水主 要吉
尾張国名古屋矢場
水主 為吉
尾張国知多郡乙川村 27才
水主 音吉
伊豆国賀茂郡小浦
水主 七兵衛
尾張国知多郡半田村
水主 植松
伊豆国賀茂郡小浦
水主 三之助
伊豆国賀茂郡柿崎
水主 重蔵
伊豆国賀茂郡田子浦
水主 安兵衛
伊豆国賀茂郡小浦
炊(かしき) 房次郎
尾張国知多郡半田村 15才
以上船長重吉を含め14名
千石船が静かに江戸の品川の港をはなれた
ときは文化10年(1813年)10月末のことでした。
一色ののせんべい
名古屋の小島家の千石船督乗丸(1.200石180総トン)
は、10月初めに、尾張藩の米や大豆などを
江戸に運び、帰途に大豆など積み、
伊豆の子浦の湊を、潤月11月4日朝、尾張に向けて
伊豆半島の南端で自然な山並みに囲まれて
高台より大きな入江と青い海
出帆丑寅(東北)の風にて御前崎まで80Kの所を、
「お~-い。これは、ただの風ではない、雲が、渦巻いて
飛ぶように流れて行くぞ、船が危ない、帆を降ろすんだ。」
遠州灘付近で嵐に見舞われたのです。
ときは、文化十年(一八一三年)新暦の11月26.7日の夜
ますます風雨は激しさをまし、四方に小山のような
波が砕け始めた。その時、名古屋は矢場出身
の水主(かこ)の要吉が波にさらわれてしまった。
助ける術もなく、そのまま船は猛列な早さで風に
流され、舵を折られ木の葉のように揉まれ続けた。
遭遇し、なが~い途方もない漂流がはじまった。
中根正冶の紙芝居の挿絵
つづく
参考資料
船長日記 池田寛親自筆本
愛知の輝く人々
ふるさと散歩道
一色の民話
千石船200年目海の男 「船頭重吉の会」
会長 水野克宣氏
村松澄之氏
会員案内人のようさん