西尾城(鶴城)
シャオ辺りからの西尾城天守閣の構図
平成23年4月1日より幡豆郡全域(西尾市一色町・吉良町・幡豆町)が西尾市成りました。この地は古くは吉良の庄と呼ばれて、承久の乱(1221年)の戦功によって、足利義氏が三河守護に赴任し、弓取川(旧矢作川)を挟んで、西側の西条城に長男長氏を東側の東条城に三男義継を配して、二つの城を配し西三河を武家社会として、始めて統治した。16世紀後期徳川家康時代に入り、家康の家臣として初めて酒井正親を城主にし西尾城と名を改めました。1603年には江戸幕府が興りました。
資料館南よりの春の西尾城の本丸丑寅櫓
吉良の城の時代の天守閣と思もわれます
明治の初めには天守閣を含め城郭全てを取り壊しお堀も埋めてしまいました。そんな中に西尾にも文明開化の足音が。
西尾鉄道が開通当時の本町
明治末の本町通りのお店のはと屋
文久元年(1861年)に味噌醤油の醸造業を始められ、西尾鉄道の
最初の発起人でも有る六代目鳥山伝兵衛氏
吾妻町駐車場を駅前広場として。
大正13年に本社事務所の西尾駅
最初の駅より2300m北へ移動
駅前商店街として三間の大通りを西尾鉄道(明治44年)の1年前(明治43年)に造り、世間を当時は驚かせた大道、
UFJ銀行の所に成美館を西尾鉄道線路沿いに、大正11年に再建。この成美館は、実は西尾鉄道が宮崎への海水浴のお客さんの為に幡豆神社前の海辺に宮崎物品陳列場としたのを 写真映像宮崎物品陳列場
(資料 岩瀬文庫 西尾・三河絵図集成
ふるさとの想い出写真集西尾)
*吉良の里に咲く*
唯法寺門前にて
神話&伝説
フヨウの花のように美しいしとやかな顔立ちの「フヨウの顔」
と言います
昔から美しい女性のたとえにもちいられ
花言葉も「しとやかな恋人」
ご縁があり、訪問頂き
皆様に ありがとうございます。
案内人ようさん