和歌山城散策 | 散策侍

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様々な歴史建造物を建築目線で再確認するブログです。たまに美味しいものなども・・・

こんにちは。爆  笑

昨日、財布を無くして往生コイております。あせる

折り畳み自転車を車にしまおうとして財布が落ちそうだったのでポケットから出して一旦車の上に置き、そのまま走り出してしまったような気がしてならないのです。ドクロ

 

お金はたいして入っていないのですが、カードやら免許証やら手続きが面倒なものが多くてホント自分に腹が立ちます。もやもや

 

さて、気を取り直して、今回からは紀州和歌山城界隈となりますのでまたしばしお付き合いを。

 

下矢印名古屋から新大阪乗換えにて特急くろしお号で和歌山駅へ電車

 

 

下矢印まずは腹ごしらえ。駅から近いカレー屋さんで相がけカレーをいただきました。左がサバカレーで右は何だったか忘れました。中央にごはんがあって食べると混ざってよくわからない味になりますが上手いです。

 

 

下矢印駅から和歌山城とは反対の東側へ歩くと三大水攻めの一つ、太田城跡があります。現在は来迎寺というお寺になっています。

 

 

下矢印遺構はなく石碑があるのみ。秀吉の紀州攻めの時に立てこもった太田党の居城だったそうです。

 

 

下矢印太田城近くの小山塚。小牧長久手の戦いで家康に味方して大坂城の後方攪乱を担った太田党ですが、和睦後に秀吉は報復のため10万の軍勢で攻め入ったとか。殿下には武士の情けがやワビサビが無いのですよ。やることなすことエグいのです。

 

 

下矢印こちらが水攻めの時の堤防跡。

 

 

下矢印フラットな地形故に一旦浸水するとなかなか水が引かないのでしょう。水攻めの後、女子供以外、城主以下すべて切腹、打ち首だそうです。

 

 

下矢印付近の道路工事の際に堀跡が発掘されているようです。

幅10m深さ3mは意外と堅固かもしれませんが平城に劣勢、援軍も来ず、勝ち目はありません。

 

 

下矢印駅東口にある太田左近の石像。「それでも抗う」姿勢は地元の英雄です。武士の鑑です。

 

 

下矢印和歌山城へ向かう道中、珊瑚寺に立ち寄ります。ここには初代和歌山城主、桑山重晴の供養塔があるのです。この方、尾張の御仁なのですよ。

 

 

下矢印供養塔に手を合わせて道中の無事をお祈りします。お願い

 

 

下矢印内堀まで歩きましたが今回はいつもに比べて周辺散策が短いのです。というのもこの日はとても暑くて(予報は32℃)、アスファルトの上を歩いていると眩暈がしてくるので避難するように城内の木陰へと入りました。

 

 

下矢印東の内堀ですがかなり広いです。築城当時のまま残っているのはここだけなのです。空襲で焼けてしまいましたから。

 

 

下矢印天守が見えてきました。暑いので早く建物に入りたかったのですが紀州兵に弱小尾張兵と言われたくないので一周グルッと廻ってみます。走る人

 

最後までありがとうございます。

次回に続きます。