こんにちは。
あちこちで桜が満開を迎えているようですネ。
もうしばらくすると「静心なく花の散るらむ」という心境になるのでしょうか。私は年甲斐もなく「春眠暁を覚えず」ですが。
さてさて広島城の続きになります。
城内には護国神社がありますので散策中に怪我をしないようにお参りしておきます。ちょうど七五三でしたので10時を過ぎると人が多くなってきました。
こちらは明治時代に置かれた大本営の跡。
天皇陛下がおわしました旧日本軍の最高統帥機関であります。
広島城は軍隊が駐屯して且つ大本営があったので攻撃が激しかったのですね。
こちらは城の東に位置する裏御門跡。「裏」といっても広島城は北側に出入り口がないのです。
そしてついに出ました。今回一番見たかったのがコレです。
福島正則公が「間違えて」壊してしまったと伝わる北東隅の石垣。
案内も何もないのでガイドさんに聞いてみると、実ははっきりとしたことはわかっていないので案内板が立てられないのだそうです。正則公は当時、何をしても幕府からイチャモンを付けられるお立場にあったのでしょうかねぇ~。
人がいない北側へ侵入。いい石垣です。
北側の水堀はホント広いんです。幅100mはあろうかと。
泳いでも途中で体力の限界を迎えそうだし、高さもあるので鉄砲もとどかないのでは。
北側は誰もいません。別に立入禁止ではないのですよ。
東側からの天守閣。
石垣は角が命。
寛平師匠の「かい~の」をやりたい衝動に駆られます。
ちなみにこの石垣の上には小天守があったらしいです。
こちらが小天守跡。
こちらは南小天守の石垣。
小天守が写っている写真がないのでネットから復元の画を拝借。明治期には壊されていたのかもしれません。今残っていたら壮観ですな。
最後までありがとうございます。次回が広島城最終回になりそうです。
*オマケ。ウチの枝垂れ桜がキレイに咲いたので鳥さんとお花見をしております。