宮後城址~初代徳島藩主生誕の地 | 散策侍

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こんにちは爆  笑!

今日は愛知県江南市の宮後(みやうしろ)城址をご紹介します。

 

以前に蜂須賀正勝公生誕の地、蜂須賀城址(愛知県あま市)をご紹介しましたがこちらは彼の息子、家政生誕の地とされる屋敷跡です。

 

下矢印敷地は県道64号線に分断されていますが県道の南に屋敷跡と伝わる空き地があります。

 

 

下矢印南向きの説明書きは紫外線にヤラれてパリパリです。あせる

家政公は徳島城を築いた阿波徳島藩の初代藩主ですネ。

早くから親徳川派の武将として行動したため幕府からは阿波・淡路島を与えられています。

 

 

下矢印こちらの説明板もパリパリです。あせる

中世の屋敷なので本丸とか二ノ丸ではなく内郭、外郭と分かれていたようです。

この案内板があるところが内郭の中心だったとのこと。

 

 

下矢印カメラ逆光で見えませんネ。ゴメンナサイ・・・汗

宮後城跡と書いてあります。

 

 

下矢印県道を挟んで北側に石碑がひっそりと建っています。

藤の花で有名な曼荼羅寺も近くです。

尾張地方ではここと津島が有名ですよね。

 

 

下矢印説明書きです。

宮後城は家政の母方の実家(安井氏)だそうで父、小六正勝が織田信秀と対立してあま市蜂須賀からここへ移ったそうです。

 

 

下矢印いつものように周辺を散策します。走る人すると八幡社を発見。

ここが外郭の南東端に位置します。

 

 

下矢印元は宮後城の鎮護として建てられ現在の建物は家政公が1624年に再建したものだそうです。

 

 

下矢印境内には正勝公と家政公が飾られています。

家政公は81歳まで生きたそうですから当時としては長生きですね。びっくり

 

 

檜皮葺の流れ造りで県指定文化財です。

国の重要文化財になってもよさそうな気がしますが。えー

 

 

何とも言えない曲線美です照れ

切妻屋根の長さが異なる造りを流れ造りといいます。

 

 

 

下矢印そして今回の目玉はこちら。

なんと!宮後城の土塁なのです!!。たまらんですなポーン100点

 

 

下矢印石は丸石ばかりなのでおそらく北の木曽川から運んだものではないでしょうか。(結構近いです) 野面積サイコー!!

このあたりに川並衆、小六さんの息吹を感じますネ。

 

 

下矢印内郭と外郭の境目と思われますが(説明はありませんのが高低差から推測した私の勘ですてへぺろ)ここにも石積があります。

 

 

下矢印高さは80センチから1.2mくらいです。

 

 

下矢印写真の右手側、少し高くなっているあたりは内郭、手前の水路があるあたりが外郭の一番外側です。

東の一番低い所に水路があるので堀の代わりをしていたのかもしれません。

南側には名鉄犬山線が走っています電車

 

ここまでありがとうございます。

宮後城址、如何でしたでしょうか。

 

ちょっとマニアックな感じですが18万石の大名生誕の地であり、周辺は宅地開発されたとはいえ地形自体はあまり変わっていないと思われるので、走る人歩いて足でなぞって凹凸を感じてみるのも変態ならではの特技と思っています酔っ払い

 

ではまた次回バイバイ

 

下矢印*我が家の娘たちです。

最近換羽の時期なので毛がツンツンしてイライラしてるみたいです。