こんにちは!今年も残すところわずかとなってきましたネ。
まだ数日ありますが、ここまで病気や怪我とは無縁で無事に過ごせたことに感謝し、また残りの日数もどうか無事に過ごせますようにとの願いを込めて熱田神宮へお参りに行って参りました。
名古屋城と同様に幼少期より何度か足を運んでおりますが、ゆっくり、じっくり見たことがないのでお参りついでにカメラを手に廻ってみました。車は神宮内の無料駐車場に停めて散策開始です。
南側参道の鳥居から入ります。
参道を真っ直ぐ歩いてくると「佐久間灯篭」があります。佐久間勝之が船で台風に遭った際に熱田神宮にお祈りをして難を逃れたためお礼として寄進したそうです。高さは8mあります
灯篭付近でいい匂いがしてきましたので食事にすることに。
地元の方はおなじみの「宮きしめん」です。
飲むように流し込んですぐ歩き出します。
樹齢千年以上の弘法大師お手植えと伝わる大楠です。大きすぎてフレームに入りません。
都会の真ん中にこのような空間が残されていることに感謝して謙虚な気持ちで参道の端を歩きます。
戦災で焼かれなかったのが幸いです。
楠の心臓音が聞こえてくるようです。
名古屋で一番長生きなのでは?きっと頼朝や信長や家康にも会っていると思われますのでご神木と会話出来たらなんて考えてしまいます。
こちらが拝殿です。正面に向かってカメラを水平にすることが憚れられますのでこの角度にて。熱田神宮は尾張三宮で、創建は神話の世界の話ですので年代がはっきりしておりませんが1900年の式典を行ったそうですからさて、いつのことやら。草薙剣をご神体とし、天照大神、日本武尊、素戔嗚尊などをお祀りしております。元々は左右対称の尾張造となっておりましたが明治26年に伊勢神宮と同じ神明造となりました。
こちらは神楽殿。神楽の奉納やお祓いなどはここで行われます。
今年は八方塞がりのお祓いに行きました。
こちらは「ならずの梅」といいます。1529年頃の古地図にも描かれているそうですが、2月上旬に花が咲き今まで一度も実をつけたことがないのでならずの梅というそうです。
こちらは1686年に将軍、徳川綱吉が再建したと伝わる「西楽所」です。毎年5月1日に舞台を組み楽を奏でるところだったそうです。対で「東楽所」もあったとのことです。簡単に触れることができる距離なので特に重要文化財等には指定されていないようです。実は本殿も戦災で焼けてしまい1955年に再建されていることから指定文化財ではないのです。
有名な「信長塀」です。桶狭間に向かう前にここで戦勝祈願して見事勝利を納めたのでお礼に奉納したと伝わります。
寒空に綺麗に咲いている桜がありました。
バラ科のシキザクラというそうです。(木にネームプレートがありました)
写真を撮っている方が大勢みえましたよ。
熱田の杜は紅葉も綺麗です。
こちらは「二十五丁橋」です。石板が25枚あることから名付けられたそうです。元々は神宮の堀に架かる橋だったようですが解体されてこの場所に移り今は立入禁止となっています。
私の父親が白鳥小学校に通っていて、昔は(70年程前ですが)
立入禁止区域も無く自由に遊びまわれたそうで、学校の帰りは熱田神宮で秘密基地を作って遊んだそうです。
すごく贅沢な秘密基地ですよね。
名古屋では最古の石橋なのです。
こちらは「清雪門」です。神宮の北門にあたり、不開門(あかずのもん)となっていたようです。
何でも草薙剣が二度と出ていかないようにとの願いを込めて開かないようにしたそうです。
宝物館にも行ってみることに。大人¥300です。
入口にいきなり「真柄太刀」が
朝倉家臣の真柄直隆が使用したと伝わる大太刀で、手前の太刀と見比べていただくと一目瞭然、そのデカさは一際です。
直隆は2mを越える大男だったようで姉川の戦いで名を馳せた豪傑です。主君、朝倉景健を逃がすため単騎徳川勢に突入して果てたといわれる侍なのです。こんな大きなもの、持つのがやっとで振り回すことなどできるのでしょうか・・・
1576年に春日井の住人からこちらに奉納されたそうです。
これは写真撮影可とのことですが館内は基本的に写真不可です。
他にも室町、鎌倉期の重要文化財が沢山展示されていますので是非行ってみて下さい。特に刀剣が多く展示されていて、村正の短刀が十振り程あったのには驚きました。
村正の妖力を熱田の神々の力で封じ込めているのでしょうか。
神社での刀剣の扱いは十二分に注意して欲しいものです。
外へ飛び出して周辺を歩きます。
神宮の西側、伏見通に岡部又右エ門の邸宅跡があります。(今はファミリーマートです)
熱田の大工棟梁で安土城や名古屋城の作事に携わっています。
同じくその先の誓願寺です。ここは熱田大宮司の藤原季範の屋敷があったと伝わるところで、季範の娘が源義朝と結婚しこの地で頼朝が生まれたとの伝承があります。ただ今のところ記録に乏しく関東で生まれたとする説の方が有力視されています。
「右大将頼朝公」の文字が見えます。
帰りに再度本殿で手を合わせて帰路につきました。
神宮内にはいくつかの社があり、熱心な方は全てに手を合わせておられます。ゆっくり全てのお社にお参りするのもいいですよね。心にゆとりが持てる感じがして。甘味処もありますので。
また機会があれば宮の渡しや裁断橋にも行ってみようと思います。
周囲を歩くと名古屋台地の南端ということもよくわかります。(東西南に向かって下り傾斜になっています)
次回は年内にもう1回どこか知らない所へ行きたいのでありますが・・・
*先日、古民家再生協会の例会がありましたので参加してきました。
歴史的建造物の活用促進に向けた法整備や地域活性化のための取組などの報告がありました。協会でもスピード感を持って取組んでいる最中です。国に対しても様々な提案をしておりますので100年後の人々に褒めて頂けたら幸いかと思います。
ここまでありがとうございます。
今年も最後まで油断なきよう過ごしたいと思います。
ではまた。