気賀シリーズ③ 井戸と井伊谷城 | 散策侍

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様々な歴史建造物を建築目線で再確認するブログです。たまに美味しいものなども・・・

こんにちはビックリマーク

今日は、浜松気賀の最終回です。口笛

 

龍潭寺から南の道路を渡り歩く事約5分、初代、井伊共保(ともやす)公出生の井戸に行きました。皆さん同じ方向に歩いていきますのでついていけば辿り着けます。走る人

 

下矢印田んぼの中にポツンと出現します。

 

 

下矢印1010年に井伊家の初代、共保(ともやす)が生まれた所と伝わる井戸です。共保の元々の姓は不明ですが、7歳の時、遠江国司として志津城にいた藤原共資(ともすけ)の養子となります。その後、この井伊谷(いいのや)に戻り井伊氏を名乗り、国人領主として約600年の礎を築きます。

雲行きが怪しくなってきました。もやもや

 

 

下矢印井伊家は井戸の「井」を旗印に、井戸の傍らに生えていた橘を家紋にしてあります。

 

 

下矢印最盛期にはこの井戸の辺りも龍潭寺の境内だったといいます。何故田んぼの中にあるか?ではなく、周りが田んぼになったのです。パー

 

 

下矢印現在も水があります。みずがめ座

 

 

下矢印井戸を後にして車へ戻り、井伊家の本拠地井伊谷城址(いいのやじょう)へ向かいます。

特に駐車場はありませんので邪魔にならないところへ駐車して歩きます。車では行けませんので歩くしかないのです。あせる

 

 

下矢印天気が悪くなってきましたので急ぎます。くもりくもり

 

 

下矢印かなりの急斜面で嫌な予感がします。入口には杖もありますので迷わず使わせていただきます。

 

 

下矢印多くの人が訪れるとのことで手摺が設置されて地面も舗装してありました。標高は115mといいますが運動不足の私にはこたえます。ドクロ

 

 

下矢印振り返ると結構な急斜面で帰りが憂鬱になってきます。ガーン電動的な何かはないものかと・・・昔の人は本当に健脚なのですね・・・

 

 

下矢印動物除けの電気柵がありますので決して触らないようにして下さい。いのしし注意

 

 

下矢印普通に115m歩くのは造作もありませんが、登りは本当にきついですね。えーん

 

 

下矢印やっと虎口まで来ました。ここまでほとんど無口です・・・滝汗

 

 

下矢印本丸跡は特に何もありませんが見晴らしは良いです。麓では風が強いくらいだったのに山頂ではほとんど無風です。滝汗滝汗 暑い・・・

 

 

団体のおじい様、お婆様方も大勢いました。皆さん元気です。若い添乗員さんはぐったりしてましたが・・・。ニヤリ

 

 

虎口と搦め手門の2箇所が残っており、2,3分で1周できるほど小さな城跡です。井伊居館跡は麓にあったそうですがこちらも今は特に何もありません。

 

 

下矢印本丸を囲うように土塁が残っていました。山城のため堀はありませんが、他の山々も支城になっており、小城とは言え攻め落とすためには犠牲も多く出るため調略で開城させるのが上策だったと思われます。

 

 

下矢印南北朝時代、宗良親王もここに立ち寄り、井伊家の人々と共に北朝と戦ったそうです。カブト

 

 

下矢印親王がおわしたところですので御所ともいいます。

 

 

下矢印無事に麓まで戻ってきました。県営か市営かわかりませんがマンションの見えるあたりが井伊氏居館跡です。普段は麓に住んで有事の際はお城へ入ったのではないでしょうか。手裏剣

 

 

他に、井伊谷宮渭伊神社天白遺跡、謀反の疑いをかけられて暗殺された直親、直満が供養されている井殿の塚、南渓和尚が建立した妙雲寺などなど見所はたくさんありますが今回はタイムアップのためここまでとします。

こういう史跡巡りで大切なのは去り際だと思っています。特に他県や遠方に行った際はせっかくだからできるだけ見ておきたいと思うのが常かと思われますが、もう少し見たいけど時間が・・・と気になりだしたところで引き上げるように努めています。それが次回も足を運ぶための原動力になりますから。

 

「直虎」が終わって時間が経つと人も減るかと思いますがまたその時に来てみたいです。音譜

うなぎ、オレンジみかん、そばなどおいしいものもたくさんありましたし。割り箸ナイフとフォーク

 

ここまでお付き合いありがとうございました。照れ

次回からは時期もいいのでお城や戦跡が増えてくることと思います?のでまた宜しくお願いします。グッド!

 

ではまた次回。バイバイ