こんにちは!今日は愛知県岡崎市本宿町にある法蔵寺をご紹介します。岡崎市街から一号線を東へ30分程走った山間にあり、一号線から脇へ入った旧東海道沿いに面した浄土寺です。徳川家康が幼少の頃に手習いを受けたお寺で、境内には近藤勇の首塚もあります。
開山は701年の行基の開山と言われており、松平初代の親氏が深く帰依し山号を法蔵寺としたそうです。
旧東海道に面しており、徳川幕府の庇護も厚く、江戸時代は往来の参拝客で賑わったそうです。
西へ、岡崎市街方面
東へ、豊川方面
家康が幼少の頃と言いますが、6歳の時に人質に出されて織田方に奪われ、8歳で人質交換により駿府に向かっていますから岡崎城にいた6歳までの間ということになります。
駐車場脇に家康公手植えの松が植えられています。現在は4代目だそうです。
山門の階段がかなり急で、手摺がないと怖いくらいです。
階段を登ると大変見晴らしがよく、松平発祥の地である三河の山々が一望できます。幼少の家康もこの景色を眺めたのでしょうか。
本堂です。
一際カラフルなお堂です。徳川時代に建てられたそうで、屋根の正面破風の下に唐破風が施してあり美しさを醸し出しております。
境内には新選組隊長の近藤勇の首塚があります。
東京の板橋で斬首され胴体は三鷹に埋葬されたそうです。首は京都三条大橋にて晒し首にされましたが3日後に同志が持ち出し、生前敬慕していた和尚様に頼んで埋葬してもらうことにしたそうです。その和尚様が三河国法蔵寺の貫主に転任されこちらに埋葬されたとのことです。
真偽については様々なご意見があろうかと思われますが、まずは静かに手を合わせました。
幕府の創業者と幕末に活躍した方が同時に偲ばれるのは何かの縁でしょうか。ここはひっそりとした山間にて近藤さんも安心して眠っておられることでしょう。
ではまた次回。