おかげさまで、唐津600人大会改め650人大会大成功でした。 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 6月16日はなんと門田隆将先生の誕生日でした。それを事前に知った私は、門田隆将先生の登場の際に、650人の仲間と共にお誕生日ソングを大合唱して迎えました。

 

 それに気を良くしたのか、今までにも増して話がスパークしており、いつ会場から火がついてもおかしくないくらいに熱くなっていました。

 

 唐津大会は、日本会議佐賀唐津支部が主体となって運営していただいたので、他の会場にもましてしっかりとした運営をしていただきました。

 

 私も実行委員会から参加させていただきました。そして最後の実行委員会の時に、まだまだスペースを作って人を入れようとアドバイスしたら、「井上さん、ホテル側からこれ以上椅子がないと言われた」と教えてくれました。

 

 実際会場を見てみると三種類の椅子が並んでいました。聞くところによるとホテル中の椅子を集めてきているとのこと。

 

 現在唐津の市民会館が改装中で使えなかったので、唐津シーサイドホテルで実施しましたが、よく考えると今までの5会場とは違うところは、唐津市は唯一県庁所在地ではないということです。

 

 唐津市の人口は約11万4千人であり、人口減少中の地方都市の一つです。

 

 しかし、ここには他とは違ったものがあります。それは「からつくんち」というお祭りで、唐津市の若者はこの祭りに参加することを熱望し、ほかの町に就職した人たちが、盆や正月は帰らなくてもこの「からつくんち」には帰ってくるほどの熱狂的なお祭りなのです。

 

 そして山ごとにいくつかの町が団結し、強い絆で結ばれているのです。

 

 先輩後輩のつながりもずっと残り、はたから見るとうらやましい人間関係を作っています。

 

 その人間関係を基に、郷土の偉人を顕彰しようと始めたのが、「市丸利之助中将」の柏頓忌です。市丸中将は硫黄島の戦いで海軍の司令官として壮絶な戦死をされました。その際に「ルーズベルト二与フル書」を日本語と英語で書き記したのです。

 

 そして村上大尉(むらかみだいい・海軍では「だいい」と発音します)が、その腹に巻き付け、戦死しますが、この書を村上大尉の息子さんがアナポリスの博物館で発見し、日本でも紹介されたものです。

 

 その研究を今回事務局長のDr.藤原が研究しており、仲間と共に顕彰をされていました。

 

 今回、高市さんと門田さんの講演会を唐津に持ち込むきっかけとなったのは、昨年の12月2日に福岡1000人大会の翌日に門田隆将氏が唐津に行きたいと言い始めたことからでした。

 

 「どうして?」と聞くと、「次の本は市丸利之助中将の話を書こうと思っているんです」と答えるではないですか。

 

 「井上さんは、市丸中将をご存じですか?」と聞かれましたが、数年前からDr.藤原に何度も聞かされている名前であり、この書の解説書もいただいて読んでいるのです。

 

 ああ、ここでまた点が線で繋がりました。

 

 昨年の12月3日に取材に同行し、洋々閣の大女将の取材に同行させていただき、感動の秘話をたくさん聞かせていただきました。

 

 この時に唐津で高市&門田ダブル講演会をすることが決まったのです。

 

 本来は2月にする予定でしたが、1月の能登半島の地震のために延期し、6月となったのですが、とてもいいタイミングで行えることになりました。

 

 12月2日の福岡1000人大会の後は、4月13日の大阪2000人大会、そして5月はあの村山富市元総理の出た大分で苦しみながらも800人をはるかに超える人が集まり大成功、そしてその夜に門田隆将氏、西村ヒカル高市秘書(西村慎吾御大の息子)と三人で夜フェリーに乗って四国にわたり、翌日レンタカーを駆って高知まで250キロを移動しました。

 

 高知も組織がしっかりしていたので、1000人大会が大成功に終わりました。

 

 ここでぐっと波が大きくよくなってくるのですが、6月2日の広島大会の大成功がその波をはるかに大きくしました。

 

 広島と言えば岸田総理のおひざ元、岸田総理に忖度する陣営からの妨害が入り、なかなか大会委員長が決まらないとか、実行委員会内でいざこざがあるなどいろいろ大変でした。

 

 でも、そのごたごたを乗り越えるべく、広島の実行委員の皆さんと山口敬之氏や長尾たかし氏らのネットでのしつこいくらいの発信が効いて、なんと1000人を大幅に超える1400人以上が結集する大会となったのです。

 

 ここは広島国際ホールで一階席、二階席、三階席までを有しているために大幅の入場者に対応できました。

 

 翌日の地元紙には「高市大臣、岸田総理の地元に殴り込み」という見出しが躍り、中央政界にも「おやっ?」という見方も出てきたそうです。

 

 そして今回の唐津大会です。私の手元にはいろんな機微な情報が集まり始めました。

 

 これを始めた時は、高市総理大臣の成功確率は1%くらいしかなかったので、最近の情勢を鑑みると40%くらいまで上がってきています。地方議員の参加者も会を増すごとに増えており、昨日は佐賀県選出の国会議員F先生が懇親会まで来ていただきました。

 

 内容もどんどん良くなりだいぶ自由に発言されるようになってきています。

 

 7月は東京で二回実施されます。ここは私は関与していないですが、きっと大きな渦が起こるきっかけになることは間違いないでしょう。中央政界にも高市待望論が徐々に出始めていると聞いています。

 

 ますます楽しみになってきております。