おやじの妹さんたちの後は、長男が赴任先のオーストラリアから本社出張のついでに帰省してくれました。
福岡での滞在時間は、金曜日の19時から翌日の16時までで21時間ほどでしたが、3年ぶりに帰ってくるので、妻が舞い上がって、てんやわんやでした。
二人の妹たちもお兄ちゃんが大好きなので、昼食を9人で食べることになり、これまた大騒動。うちですき焼きパーティを実施しました。私たち夫婦、子供たち3人、そして孫たち4人での久しぶりの食事です。
午前中は歯医者に行って歯のメンテナンスを、そして木の葉モールに行って長男の子供たちへのお土産を買い、私は日本語を忘れないように三人の孫たちに本を買って託けました。
前日の夜は日本の物価が安いと言ってドラモリでラーメンやふりかけやノリ類を16000円分も買って帰るほどです。
シドニーではフードコートの昼食が一食2500円ほどで、5人家族でそこら辺にあるショッピングセンターのフードコートに行けばすぐに一万円では足りなくなるとのこと。海外勤務手当はついても円安で使えるお金は減っているとのことでした。
ただボーナスは海外勤務をもう8年ほどしていますが、一度も下したことがないと言っていました。単純に計算しても親よりもお金持ちです(笑)
じいちゃんにも会いたいと短時間でしたが面会に行きました。私よりも親孝行のようです(笑)。
福岡に帰ってきたら、食べたいものがいっぱいあるとたらふく食べて帰っていきました。先ほどオーストラリアの孫たちからも本のお礼が届いていました。
そのノリで、3号と4号が止まりたいというので、ついさきほどまで一緒に過ごしました。もうくたくたです。3号と4号はいとこですが、3年生と1年生なので気が合うのでしょう、本当の兄弟のように仲良しです。
でも、こうやって家族というものはとってもいいものだと実感しています。
日本の社会の最低単位が家族だと先日書きました。まさにその通りなんです。
家族がしっかりとしていれば、いろんな問題に直面しても必ず帰る場所があります。つまり「居場所」があるのです。
そして傷を癒してまた旅に出ることができるのです。
武漢コロナ以降、自殺がどんどん増えています。とても悲しいことです。年代別の死因を調べていくと、「自殺」という文字が散見されます。
がんや心疾患、脳血管疾患などは怖い病気ですが、これは本人が生きたいのにそれが叶わないものですが、自殺は何とかならないものかと考えるのです。
「自殺」を今まで生きてきた中で考えなかった人は皆無だと思います。私も将来を悲観し、毎日のつらさに潰されそうになったことも度々あります。今考えれば、しょうもないことですが、その時は真剣に悩んでいた時期もあるのです。
ただ最近は、死生観が変わったために、どんなに苦しくともどんなにつらくとも「自殺」などを考えることは全くなくなりました。なぜなら、するべきことが明確になっており、自分の命の使い方つまり使命を理解したからだと思うのです。
今、私と出会った人は皆と言っていいほど、「井上さんは明るくてやる気に満ちているね」と言ってくれますが、これでも昔はいっぱい山ほど問題を抱え、何度も「今死んだら楽になるだろうな」と思ったこともあるのですよ。
しかし、思いとどまったのはいつも家族の存在でした。高校生の頃は親の存在であり、親を悲しませることはしたくないという気持ちでいっぱいでした。私の友人にも子供さんが早くに亡くなっている方々がいますが、やはり最大の親不孝は親より先に逝くことだと思います。
また明治生命時代にもつらい時期がありましたが、その時は子供たちに悲しい思いをさせたくないという一点で踏ん張りました。
この内容を細かく書いてもいいんですが、きっとほとんどの人がそんなことで悩んでいたの?とお笑いになることです。でも、悩んでいる最中の人間にとってはとてもつらいことだったのです。しかし、あとで振り返ってみるとあの時に逝かなくてよかったとつくづく思います。
最近よく人からの悩み相談を受けます。ほとんどいや全部と言っていいほど大所高所から見れば、「そんなことで悩んでいるの?」というような問題ばかりです。
命を懸けてまで悩むことではないとわかるまでひたすら聞いてあげます。そして私の経験をお話しするのです。
でも、心の病の多くは時間が解決するものが多いので、私との会話で解決しようとはせずに、その人の目の前の希望を大きくすることを心がけています。そしていつでも「そばにいるよ」と伝えるだけなのですが、今まで何度も解決を目指してアドバイスするよりも効果的だとわかりました。
徳永英明の『僕のそばに』という歌を聞いてみてください。まさにこの通りですね。