国民を守ろうとしない岸田政権をどうして存続させているのか? | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 明日から又広島に行きます。

 

 門田隆将氏と高市早苗大臣の5回目のダブル講演会が広島で開催されるからです。今回は司会ではなく、裏方として肥後実行委員長を支える役割に徹したいと思っております。

 

 岸田陣営からのいろんな妨害があります。広島の友人からもその情報が入ってきていますし、盟友山口敬之さんも同じようなことを言っています。詳しいことは今は書けないのですが、内部にもそういう輩がいて、円滑な運営ができるかどうか、とても悩ましいところがあるようです。

 

 だから今回は司会を仰せつかっておりませんが、出しゃばって広島まで行きます。

 

 福岡から広島までホテル一泊付のパックを旅行代理店でお願いすると部屋が狭くてもよかったら、2万円ちょっとで行けます。ただ今回は、臨時収入があったので、広い部屋のホテルを取ったので、4万ほどになりますが、やはり新幹線という大量輸送手段が発達していることは人の流れを大幅に助けるものだと思っております。

 

 これまで福岡、大阪、大分、高知と4つの会場でやってきましたが、それぞれの場所でいろんな特有のくせとか個性があり、大変な部分が多いのですが、広島が一番たちが悪いというか、岸田総理のおひざ元だということが影響することが多々ありました。

 

 それならおひざ元の町長選挙で大敗するようなことはないはずですが、先日広島1区の府中町選挙で岸田陣営が推す候補が大敗を期しています。だいぶ危機感を持っているようですが、この高市さんの講演会を妨害するようなことをすればするほど、逆効果だと言うことがわからないのでしょうか?

 

 他の会場では高市さんと反目と目された議員の陣営が積極的に応援していただきました。もちろん今後の選挙のことでの思惑があるようですが、この県の筆頭は自分だという自負心が見えて、決して悪い印象は持ちませんでしたが・・・。

 

 CHINAの大使が恫喝というような発言をしても、岸田政権はほとんど必要な手立てを講じていません。言われっぱなしです。

 

 私も行った台湾の頼清徳新総統就任式に日本の国会議員が参加したことを詰っているのですが、こんな非礼をそのままにしておくという岸田政権の気持ちが理解できません。

 

 そしてへらへらと日中韓三か国の首脳会談に参加してきているのです。

 

 そこで毅然とした態度で抗議をすればまだしも、そこではただへらへらと日本国の総理大臣としての誇りも感じられず、CHINAや韓国とただ仲良くすればいいと思っているのでしょうか?

 

 「矜持」という文字を岸田文雄氏は持っていないようです。

 

 私はこの「矜持」という言葉の意味を次のように解釈しています。それは、「死んでも絶対に譲れないもの」です。

 

 日本人として靖国神社や護国神社に行き、英霊の方々に手を合わせ、感謝の誠をささげることは当たり前だと思っております。だから中韓からいろいろ言われるから行かないという選択はないはずです。国策に命を捧げた方々が英霊となって、靖国や各県の護国神社にお祀りされているのです。

 

 毎年でも靖国神社に行きたいのですが、遠いため私は福岡県護国神社にお正月やお盆はもちろんのこと、ことあるごとに行くようにしています。

 

 外国の無名戦士の墓にはお参りしても日本国内にある靖国神社にはいかないという選択をする人間を信用できません。靖国神社に行くと戦争賛美になるというならば、外国の無名戦士の墓にも行きませんときっぱり言うことができる人ならば、まだましです。まあ、そういう人はお友達にはなりませんが・・・。

 

 最近よく聞くのが「ペルソナノングラータ」という言葉で、人格的にダメな人と直訳するのでしょうが、まさに靖国神社に行かない内外の政治家はまさにこれに該当すると思っております。

 

 国権の発動である「戦争」に国民の義務として出征し、尊い命を捧げられた方々に感謝の誠をささげることがなぜ戦争賛美になるのか私には理解できません。

 

 1957年に公開された「最後の突撃」という映画をアマプラで昨日見たのですが、これは兵を率いる将校として責任を追及した当時としては反戦映画だったのでしょうが、この映画つくりに多くの戦争経験者が参加されているので、ただ一方的な反戦ではなく、将校として麾下の兵たちから信頼・尊敬を得るためにどれだけ厳しい言動が必要かを考えさせる作品でした。

 

 部隊の長として持ち場を命令なしに持ち場を離れることが他の部隊にどれだけの悪影響を与え、全体の損害を増やす行為なのかを良くあらわしている映画だと思っております。

 

 それだけ悪条件の中でも将校として兵の命を預かっている責任と、一部隊として戦線を支える存在としての役割と、個人的な思いとでは全く違うのです。これこそ背私向公(はいしこうこう・聖徳太子の17条憲法の15番目)の考え方なのです。

 

 1956年は経済白書に「もはや戦後ではない」という有名な言葉が出ましたが、この頃から日本は公と私の区別があいまいになってきたのではないでしょうか。

 

 岸田文雄という人は、総理大臣という公的な存在でありながら、自分の保身や身の安全という私を優先させている人にしか私には見えません。

 

 だから自分が代表する日本国がコケにされ、バカにされても「カエルの面にしょんべん」の表情でへらへらと中韓の首脳会談に出席できるのです。

 

 一刻も早く退陣してほしいし、それができない自民党の国会議員たちに国民が失望しているのがわからないのでしょうか。