夫婦別姓婚制度に賛成する人のご意見 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 フェイスブックでの友達の木野さんから、次のようなご意見がありました。

 

 私とちがう意見でも、こういう意見は傾聴に値すると思っております。

 

 >>>引用開始

 

木野 雄介

 このスレッド内では唯一の意見かもしれませんが、私は選択的夫婦別姓に賛成の立場です。

 

 自由主義国において、極力、民への国家権力の制限は最小限度であるべきという考えから、強制的に同姓にさせられるのは、国家権力の過干渉だと感じます。

 

 家族の絆は同じ苗字から、と感じる夫婦は同姓を選びますし、家族の絆は苗字とは関係なく構築できる、と思っている人は別姓を選びます。不本意な人は誰もいません。

 

 また、別姓夫婦の子供であっても、夫婦で話し合ってどちらの苗字を名乗らせるか決めればいいだけのことだと思います。ちなみに、私たち夫婦は、婚姻届の際にどちらの苗字にするか、をジャンケンで決めました。

 

 >>>引用開始

 

 世の中にはこういうご意見をお持ちの方をおられるのです。勉強になります。

 

 反論ではないですが、いくつか私の意見を述べさせていただきましょう。

 

 この木野さんのコメントで一番引っかかるのが;

 

 「自由主義国において、極力、民への国家権力の制限は最小限度であるべきという考えから、強制的に同姓にさせられるのは、国家権力の過干渉だと感じます。」

 

 というくだりです。

 

 私は妻に自分の姓を名乗ってもらうことが当然のように考えましたが、妻も私の井上姓を名乗ることを当たり前のように籍を入れました。

 

 いろんな周りの人に聞いても、同じような感情であり、そこには一切国家権力云々という話は出てきません。介入する余地がないのです。

 

 結婚した時点で妻に、そして子供が生まれた時点で子供たちを守るという責任感を強く感じ、どんなことがあっても最終的には家庭を守ると固く自分に誓いました。

 

 その決意の表れが籍を同じにして家族として暮らすことでした。もちろんいろんなことがあり、夫婦喧嘩もしましたし、親子喧嘩も数えきれないほどしました。

 

 しかし、今は3人の子供がそれぞれの家庭を持ち、5人もうすぐプラス1の孫ができ、私の最高の喜びは孫と遊んで、孫たちの笑顔を見ることです。

 

 それが家庭を持ち、家族を大切にしてきたご褒美だと思っていますし、フェイスブック等に孫たちとの遊んでいる写真を上げるのは、ぜひこの喜びをみなに知ってほしいと思うからです。

 

 神社のお祭りでも、五穀豊穣、子孫繁栄、商売繁盛は豊かに家族に囲まれてにぎやかに暮らすことを人々は願ってきたのです。

 

 これがサイレントマジョリティーの気持ちだと思います。

 

 いつも孫たちとの時間を大切にしているので、よその子供と目が合ってもその子を見るまなざしが優しいのでしょう、まったく知らない子供が私に微笑んでくれたり、先日は自分が持っているボールを私に渡そうとした二歳くらいの男の子がいました。

 

 子供を家庭と社会で育てる意味がここにあります。

 

 明治期以前は庶民には名字が無かったと言いますが、孫兵衛の妻のトメや太郎の妻のクマという記録がお寺の檀家帳には記載され、それがきちんと戸籍の役割を果たしていました。

 

 ご存知のように江戸時代は地方分権社会であり、各地方のお寺の檀家帳が戸籍の役割をすでに果たしていたという世界でも珍しい国です。 

 

 もちろん、武士や公家には氏(うじ)=主に血縁関係を表し、姓(かばね)=おもに朝廷内の立場を表すものがありました。

 

 ご皇室を見ればわかるように「皇統」「血筋」などが重要視されました。

 

 よって「家」というものの存続がとても大切だった時代あり、結婚も当人どうしではなく、家どうしの結婚が戦前まで旧家では重んじられてきました。「家が釣り合う相手」どうしでお見合いをした時代もありました。

 

 しかし戦後は家重視の結婚から当人たち重視の結婚が普通となり、現在に至っています。

 

 これのどこが不都合なのでしょうか?日本社会はその時々のニーズに応じて変化対応してきています。

 

 日本社会の最小単位である「家」を壊すことにつながる夫婦別姓婚制度は日本にはそぐいませんし、そうするのも自由だろうと主張される方が半分くらいになった時点で考えるべきことだと思います。

 

 まだ社会の大半が同一戸籍で同一名字で家族を名乗っていたいと思う人が多いのですから、現状変更する必要性は私には全く考えられません。

 

 マイナンバーカードの保有が促進され、このカードに旧姓も入るようになれば、国家免許の書き換えなどが不要になってくるでしょう。個人の情報は生まれてからすべてこのカードで一元管理されるのですから。

 

 でも、家族としての気持ちは同じ性のもとであるのが現在は普通だし、大多数なので、それを変える必要性がどこにあるのでしょう。

 

 夫婦別姓婚制度に賛成の方はその必要性を主張し、同じように考える人を増やすことで、社会通念を変化させるのが先決だと思いませんか。

 

 そういう人もいてもいいというあまりにもおおらかな、いいようによってはとても「無責任」な判断で安易に夫婦別姓婚制度に賛成すべきではないと思っております。

 

 それが前述の日本社会がどんどん変化しながらも、家族という概念がさほど変化せず、家族になることの幸福感を感じることができる日本の社会的通念が大幅に変化してきていない現状では制度自体をいじる必要はなく、マイナーチェンジで十分に対応できることだと思っております。

 

 根本を変えることと、枝葉末節を変えることは全く違います。私は古い人間なのでしょうが、子供たちと同じ姓を名乗り、そして子供たちと国女の子が巣立っていくときに、姓が変わるのを見て、一つの区切りを付けました。

 

 その子供への愛情は姓が変われど全く変わりませんが、自分のけじめと社会のけじめにおいて夫婦別姓婚制度に賛成は到底出来かねます。

 

 賛成の方は現行制度のどこが不都合で、どんな不利益を被っているから変えようとしているのでしょうか。それを明確にしてほしいと思います。

 

 木野さんも現実の制度にきちんと適応されて社会生活を送っておられます。その何が不満なのでしょうか?

 

 

 

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