「帝国陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
これは昭和16年12月8日の朝の臨時ニュースの文言です。
毎年この記事は書いていますが、みんなに徹底できるまで何度も書きたいと思っています。歴史は後世の人が書き記したものではなく、当時の新聞やニュースを基に考えることも必要だということです。というのも、このニュースの文言で気になることがあります。
それは、「西太平洋」という文言です。
よく「太平洋戦争は、日本軍の真珠湾奇襲から始まった」と教えられてきました。
これも突っ込見どころ満載で、私たちの先人が戦った戦争は「大東亜戦争」であり、「太平洋戦争」ではありません。戦後GHQが太平洋戦争と言えと言われて戦後放送コードの一つとなって使い続けられてきた言葉です。
でも、当時の内閣がきちんとこの戦いは「大東亜戦争」と名付けており、これを私たちの先人は命を懸けて戦ったことを忘れてはならないと思います。
また、この大東亜戦争は真珠湾攻撃で始まっていません。それが、最初の「西太平洋において」という文言で、ハワイがいつから西太平洋になったのでしょう?
それは、対英米戦争が始まった時間がポイントです。
昭和16年12月8日に大東亜戦争は始まりましたが、今後の記述はわかりやすくするためにすべて日本時間で表示します。
まず午前1時30分英印軍第8旅団6000名が守るマレー半島にあるコタバルに日本陸軍第18師団56連隊を中心に5300名の侘美支隊が敵前上陸を開始します。ここから大東亜戦争が始まるのです!
敵前上陸とは、敵が守っている要衝を強攻するわけですから、両軍の間に激しい戦闘が繰り広げられます。両軍合わせて約2000人の戦傷者出るくらいの激戦でした。
そしてこの戦闘がマレーシアの教科書に、「マレーシア共和国の歴史は日本軍がコタバルに上陸したことから始まった」という記述になっていくのです。つまり、日本がマレー半島に敵前上陸し、英印軍を蹴散らさなければ、今でもイギリスによる植民地支配が続いていたかもしれないことを示唆します。
午前2時40分 オアフ島付近を巡回する駆逐艦DD-139ワード号が国籍不明の潜水艦を発見。正体不明の潜水艦として砲撃を加えて撃沈します。
数時間前にこの国籍不明の潜水艦が発見され、追尾し、対潜哨戒機も上空から確認し、そして2時45分に砲撃で撃沈したのです。
これに先立ち11月25日には日本軍の奇襲に備えて国籍不明の敵対する行動にも躊躇なく攻撃を加えるようにとキンメル米太平洋司令長官が事前通告を出していました。当時の戦争はすでに始まっている状態で、いつ戦闘が始まるかは問題ではなかったのが常識でした。
この攻撃は甲標的・特殊潜航艇でオアフ島付近の母艦から出撃し一路真珠湾に向かって航行していたものでした。
もちろんこの攻撃行動は報告されていますが、キンメル司令官への報告はずっと後になっています。
そして航空部隊の攻撃となるのですが、南雲中将率いる機動部隊は11月26日に日本を発しています。その場所が、択捉島の単冠湾でした。
12月2日に大本営から「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号電文が機動部隊に送られ、攻撃命令が下されました。
そしてコタバルの戦闘が始まった日本時間午前1時30分第一攻撃隊183機が空母から発艦を始めたのです。
午前3時19分(現地時間7時49分)にトトト(ト連送)という命令を淵田攻撃対象から発せられました。これは全軍突撃せよとの暗号でした。
そして午前3時22分(現地時間7時52分)に対空砲火や防空戦闘機の準備がないことから淵田中佐は有名なトラ・トラ・トラ(我奇襲に成功セリ)という暗号電文を南雲中将に送ったのです。
イギリスと激しい戦闘が西太平洋にあるコタバルで起こっているのです。その報告は同盟国だったアメリカにもすぐに伝わっているのですが、アメリカ本国から真珠湾に伝わるのがあまりにも遅く、ここが不可思議でした。それでチャーチルとルーズベルトの陰謀説が流れ始め、今ではその説が有力になっています。
真珠湾攻撃の報を聞いて英首相のチャーチルは満面の笑みを浮かべ、神に感謝したそうです。そのような場面が最近公開されたチャーチルの映画にも出てきます。
なぜなら、イギリスはドイツの猛攻を受けて陥落寸前だったのですが、アメリカはルーズベルトが再選の時に外国の戦争にはかかわらないと言ったために、イギリスから再三再四の要請を受けても、参戦できなかったからです。
このルーズベルトはとてつもない狸でこの人がいたから日本は戦争に突入しなければならなかったと言っても過言ではありません。
77年前の今日から日本は米英との戦いに本格的に突入するのですが、自虐史観で習っただまし討ちでは全くなかったことを英霊のためにもきちんと知るべきだと思っています。