勇壮博多祇園山笠フィナーレ追い山に参加して! | 井上政典のブログ

井上政典のブログ

 歴史を通じて未来を見よう。

 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 7月1日から始まった博多の夏の風物詩「博多祇園山笠」は15日の早朝の追い山で幕を閉じました。

 

 今年は漫画『博多の恩人聖一国師と博多祇園山笠』を出版したので、そのご褒美にこの山笠に長年尽力されている方から、追い山見物の頂点ともいえる「櫛田入り」をまじかで見ることができる桟敷席の入場券を頂いたので、妻と二人で午前四時に櫛田神社につきました。

 

 午前二時には入場が開始されていたので、席はほぼ満席、それでも櫛田入りしてくる山が見やすい席に着いてその時を待ちました。

 

 その前に博多の人なら何のことをしゃべっているかわかるのですが、全国の人にはまったく理解でき無いと思いますので、ちょっと解説します。

 

 博多祇園山笠は今年で777年続く博多最大のお祭りです。日本三大祇園祭の一つで一昨年にユネスコ無形文化遺産に登録されました。

 

 7つの舁き山と豪華な飾り山に博多人形師が腕を競って歴史的な場面を立体的に描くものであり、また7つの舁き山はタイムレースで博多の街を駆け巡ります。

 

 このお祭りの本格的な始動は6月から始まり、7つの流れ(各町内の集合体)がそれぞれに準備し、7月1日からの本番を迎えます。

 

 その時の重要な行事に「お汐井取り」があるのですが、その起源がイザナギノミコトが黄泉の国から帰還した時に海水で禊をしたことから始まったのです。そして博多のようにお潮井(海砂)で清めるという習慣があるのは全国でもここしかないということを発見し、本にしたのは昨年出版した『オッショイ 福岡の神社が面白い』(啓文社)です。

 

 この本の内容を先日「日本保全学会の学術講演会」で東大をはじめとする日本の原子力関係の重鎮の前で講演するなど、なかなか評価をいただいてうれしい限りですが、そのきっかけとなったのがこの博多祇園山笠のお汐井取りから来ています。

 

 神社は海砂を毎朝取るので、お潮井と朝ですが、山笠の行事では昼から取りに行くのでお汐井と夕になっています。

 

 そしてこのお汐井で清めたものだけが博多祇園山笠の山を担げるのです。

 

 そしてそのお汐井を取りに行くときの掛け声が「オッショイ」でそれは「お汐井(おしおい)」が変化したものです。

 

 7月1日から始まる山笠は、各流れの山に神様をお迎えし、そして15日の追い山が終わると神様を天に帰し、鎮めの能を行って一連の公式行事が終わる神事です。

 

 しかし、その起源となったのが臨済宗のお坊さんだった聖一国師様であり、その半生を漫画で描いたのが『博多の恩人聖一国師と博多祇園山笠』(集広舎)です。この本は福岡では大手の書店にはたくさん置いてありますが、全国の方はAmazonや楽天ブックスなどのネットでもお買い求めできますし、サイン入りの本が欲しい方はメッセージいただければ、着金を確認した後に郵送いたします。

 

 ぜひ「博多祇園山笠」でググってみてください。勇壮な動画をたくさん見ることができると思います。

 

 そして今朝(15日)の御前4時59分に櫛田神社の太鼓が鳴り、7年に一度回ってくる当番山が「おいさ」の掛け声とともにものすごいスピードで櫛田神社の境内に入ってくるのです。そして中央付近に翻る「清動旗(せいどうき)」の周りを周り、そして出ていくタイムを競い合うのです。

 

 7つの山がどこが一番だったかを競うのですが、一番だったからと言って何の商品や賞金が出るわけではありません。しかし、「今年は一番だ」という名誉がその流れに与えられるのです。個人の名前は一切出てきません。その流れの担ぎ手からそれを裏で支える博多のごりょんさんと呼ばれる女性陣すべてにその栄誉が与えられるのです。

 

 「誇り」「栄誉」は皆が一丸となってその山を15日間動かし続けた結果であり、それが櫛田神社の境内に入ってから出るまでの約30秒ほどに与えられる栄誉です。そしてその後博多の街を5キロほど約30分ほどで駆け抜けます。

 

 手ぶらで走っているわけではありません。約1トンを超える山を6本の担ぎ棒の前後に4人、24人が全力で走り、そして台に上がっている台上りの指揮のもと随時交代していきながら5キロを30分弱で走り切るのです。

 

 そのスピードたるや普通の人が何も持たずに走っても追いつけないスピードです。

 

 関東の神輿や京都の山車になれた人は、そのスピードの凄さに一様に驚愕されます。

 

 それはみんな心が一つになっていないとF1のピットインをほうふつさせる担ぎ手の交代、それも背の高い人が前方を低い人は後方を担ぎ、そして200人以上の人が後ろから押したり、自分の番に担いだりと一糸乱れぬしーむワークが必要とされています。

 

 そう頭ではわかっていても、実際そのスピードを見ると「お見事!」というしかありません。

 

 同じスサノオノミコトの神社の祇園祭でも、静の京都、動の博多と全く趣が違います。

 

 今朝、私はこのお祭りのクライマックスである追い山の櫛田入りを6000円の入場券が15分で完売する桟敷席から見ることができる幸運をいただいたのです。

 

 博多の人でもこの桟敷席から見ることはあまりなく、並ぶことの嫌いな博多っ子が列に並んだり、いろんなコネがないとなかなか手に入らない券です。ある人の話によるとネットでこの券が10万円で取引されていたそうです。私はせっかくいただいた券なので10万くらいでは売るつもりは全くありませんでした。それほど貴重な券なのです。

 

 それもこれもこの博多祇園山笠の起源となった聖一国師の半生と山笠の決まりを描いた漫画を漫画家の渋田武春先生によって描いていただいたものをいろんな人のご協力によって出版できたことのご褒美でした。

 

 これを発願した中間令三さんの思いと渋田先生との出会いと私の原作と協力者の方々のおかげで出版できた、そうこれもみんなの力が一つになった本です。

 

 昨日も聖一国師の出身地、静岡から静岡第一テレビの徳増ナイルアナウンサーがわざわざ取材に福岡までお越しになり、私が子供たちに公民館でお話するところを取材していかれました。

 

 山笠は終わりましたが、その核となる人たちはすぐに来任に向けての動きが始まります。

 

 それが1241年から777年後の現在まで続いているのです。

 

 こういう郷土を愛し、郷土の誇りを後世に伝える人がいるからこそ博多はいつも活気があるのです。

 

 またそういう人は全国におられます。だからこそ日本は凄いのです。

 

 祭りを守り、祭りに集う人がいる限り、日本は大丈夫だと追い山の勇壮な姿と統制された善意ある人々の熱意を見て確信しました。

 

 皆さん、郷土のお祭りを大切にしましょう!

 

 もう眠いです。おやすみなさい。