南京事件がユネスコの記憶遺産に登録されましたが、その登録された内容が見れないということはどういうことでしょうか。記憶遺産のはずですが、その記憶がたどれないというのは、人間でいえば痴ほう症でしょう。
つまりユネスコはその痴ほう症にかかっているのです。そんな機関は正すか、やめるかをしなければならない時期ではないでしょうか。
ほとんどの方のイメージが「南京市を日本軍が包囲してその中にいた住民を片っ端から強姦し、殺害した事件」と思っておられると思います。特に自虐史観に取りつかれた人たちは。
それをちょっとでも「違うよ」と言おうものなら、「歴史修正主義者だ」とか「軍国主義礼賛」だとかのレッテルを勝手に張られます。
間違っている歴史ならなぜ正して悪いのでしょうか。私は「堂々と歴史を修正するのが私の使命だ」と言っています。
軍隊がなぜ悪い?祖父も父も軍隊に行って立派に戦ってきています。尊敬する父は復員後、苦労して一般大学から教員となり、中学校の校長までなりました。福岡県では福岡教育大学の卒業生が校長になることが多かった時代にです。そう言う人が戦争だからと言って鬼畜のような行いをしたとは考えられません。
気のいい大工さんや八百屋のあんちゃんが、兵隊にいくと人格が変わるのでしょうか。父が戦友会でも数少ない生き残りになりましたが、ほんの10年ほど前は年に一度の戦友会を楽しみに皆さんが集まり、それを喜々としてお世話していた父を時々手助けしていました。
先日父と話していた時に面白い話を聞きました。もう30年ほど前の話ですが、父の先輩と軍隊の話をした時に、その人の所属が56師団113連隊だということがわかりました。龍兵団といわれ、福岡市に本拠地があった連隊です。
戦死した母の兄と同じだということで、「尾籠少尉は知っていますか?」と聞いた途端、その人は口をつぐみ、それから一切そのことは話をしなくなりました。私にはその意味がすぐに分かりました。
56師団113連隊はビルマ戦線のラモウで陸の玉砕をした連隊です。文字通り最後の一兵まで戦ったと戦史には書いてあります。その生き残りはほぼいないと言われていましたが、まさにその人がそうだったのです。
普通だったらその時の様子を語るはずですが、その人はしませんでした。
ここからは私と父の憶測です。その人は何らかの理由で逃げたのです。その後ろめたさから自分の知っている名前を出されたために口をつぐんでしまったのだと思います。人生人それぞれです。その人にはその人なりの理由があったのだと思います。でも、その時にすでに終戦から40年も経過しているのです。罪滅ぼしにその状況を話してもよかったのではないかと今となっては思います。
南京戦に参加された兵士の方の多くが南京で虐殺などなかったと証言されています。たまに虐殺を見たと言われる人がいますが、戦後シベリアに連れていかれて赤化教育を受けた人ばかりで、主計将校だった人が前線の様子を語るのですが、補給や物資の管理をする職種の人が最前線に行くはずがありません。そのことを突っ込まれると口をつぐんでいました。
日本人は嘘が苦手です。ですから用意した内容は良心の呵責に耐えて何とか喋れますが、突っ込まれると何も言えなくなるのです。
これが隣の国ではそこから等々とうそを言い始めますから、しばらく置いて同じ質問をすると前の答えと明らかに矛盾が出てきます。戦時売春婦たちの証言がまさにこれに当てはまります。ですから聞き取り調査の時は質問を禁じられていました。
日本のジャーナリストたちも当時従軍記者として南京攻略作戦に従事し、その様子を銃後の国民に伝えています。その人たちも誰一人として強姦や虐殺を見ていません。
この南京事件は、40年ほど前に朝日新聞の本多勝一記者が出した本、「中国の旅」で南京事件のことを日本軍の残虐事件として紹介し、一気に広まっていきます。もちろん東京裁判でも取り上げられましたが、当時を知る人が多かった時代には裁判中の反論をさせずに日本の戦争指導者を弾劾するために使われたプロパガンダだということを知っていましたが、GHQに逆らえずになあなあで終わっています。
でも、本多勝一の本が出た時、私も大学生でしたがすぐに買って読みました。100%ではないですが、ある程度信じていました。それは戦争という狂気の時代だからありうるという範囲のものでした。
でも、そこで出てくる「三光作戦」という言葉には違和感を抱きました。知らない方が言葉だけを見れば何かいいことをしたのかと思うでしょう。「光」という言葉には希望や神様や仏様が含まれていますから。基本的には「日・月・星の三つの光」を意味します。
しかしこの三光作戦というのは「殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす」という意味であり、日本語の語感とは違うというのが率直な感想でした。そしてこの言葉が私を自虐史観から目覚めさせるのです。
この言葉が日本軍では使われておらず、CHINA軍の言葉であることが分かったのです。
それではなぜその言葉が本多勝一の著書に日本軍の作戦名として出てくるのかと考えればすぐにわかりますよね。
この人はろくに調査もしないで現地の人から説明を受けたことを鵜呑みにしてそのまま本を出版したと自分でも後で語っています。
あれ、この言葉なんか聞いたことがありませんか?
済州島での戦時売春婦の強制連行を反省して書かれたという吉田清治の本を鵜呑みにして朝日新聞が記事にしましたと数年前に社長が謝罪したそれと全く同じ構図です。またもや朝日新聞です。
そしてこの本多勝一の名前はリニューアルされた南京虐殺記念館から消えていると産経新聞に載っていました。
都合が悪くなるとすぐに証拠を隠滅するCHINAの常套手段です。サンフランシスコのリー市長も、『レイプオブ南京』の著者アイリス・チャンもいつの間にか亡くなりました。やはり一党独裁の国は恐ろしいですね。
続く