まずは今回の豪雨で大切なご家族を亡くされたり、家を流され甚大な損害を被られた方々へお見舞い申し上げます。
参議院での法案成立をなんかと阻止しようと必死の工作員たちですが、二三日前のテレビで「憲法守れ」と連呼するSEALDsのラップを聞いてふと次のようなことが頭に浮かんできました。
「憲法守れ」は「日本国憲法の精神を守ること」だそうです。
でも、日本国憲法の精神とは?
自虐史観に繋がる東京裁判史観に他ならないと思うのは私だけでしょうか?
彼らがラップで必死に「憲法守れ」と言い続けているのは、連合国から押し付けられた日本国憲法を改正すると都合の悪い人たちが必死になって日本国憲法を変えないでほしいと願っているように思えてならなくなりました。
憲法違反の法律?
日本国憲法を金科玉条とする憲法学者が矛盾だらけの日本国憲法にそって安保関連法案を見たら憲法違反になるのは当たり前だと思います。
自衛隊はれっきとした軍隊です。日本の領土内では「自衛隊(セルフディフェンスフォース)」ですが、一歩領土を出てしまえば、「軍隊」扱いになるからです。
そうでなければ、PKOで活動中の隊員が捕虜になると国際法で軍人とみなされないと戦時捕虜として遇されずっスパイとみなされて命が危険になります。
さらに、身の危険が迫った場合に攻撃してくる人間を撃ち殺してしまった場合、殺人罪が適用される可能性があるからです。
国内法では軍隊ではないと言っているものを国際的には軍隊として認められているという矛盾があるので当然憲法違反となるわけです。
では、今回の安保関連法案も憲法の改正で堂々と行うべきだと主張する人たちがおられますが、もし今有事が起きた場合、本当に現行法で日本国や日本国民の生命・財産を守ることができるのでしょうか?
私はとても不安です。一日も早くすぐに自衛隊が国防軍として最善の対処ができるようにすべきだと思いますし、それに近いものにすぐに変更すべきです。
昨年の閣議決定で集団的自衛権に関する憲法解釈を政府が変えましたが、その後12月に衆議院の総選挙が実施され、野党各党は意義なき選挙だと言って散々に騒ぎ立てていました。
本来ならばその時に集団的自衛権の憲法解釈変更問題を大きく取り上げ、それを争点に野党は選挙を戦うべきでしたが、その論陣もまともに張らずただ政府の抜き打ち選挙に成す術もなく、右往左往して惨敗したのが野党だったのではないでしょうか。
でも、卑怯な解散とか、意義なき選挙だと散々選挙のことは嘆いていましたが、集団的自衛権の解釈変更を問題にしたのは共産党を除きほとんど見られなかったように思えます。みなさんいかがですか?
自民・公明の与党は十分に余力を残しながらの選挙戦であり、それによって衆議院の三分の二を確保しました。
国民は与党の信任をしたのです。それが直近の民意です。
ところが反対派は無意味なデモを仕掛け、国会周辺や銀座の歩行者天国で周りの住民に大井に迷惑をかけながら大声で反対を唱えていますが、どうして昨年の選挙の時にしなかったのでしょう?
政府の解釈変更から十分に時間がたってからの法律の整備にもかかわらず、議論が足りないとか、国民の疑問が解消されていないとかいうのはおかしいと思いませんか?
NHKの討論番組で自民党の高村議員と公明党の北側議員が野党の代表と討論していましたが、政府のやり方はたまた安倍総理の答弁の仕方だけを問題視して法案の中身は「違憲」としか主張していなかったように思えます。
山本太郎議員に至ってはNHKが国会中継を最後までするべきだと全く議論から外れたことをメモに従って早口でしゃべっていただけです。
そこで今後の戦略はと民主党の岡田代表が聞かれたら、手の内を明かすことはしないと言いませんでした。
そうです、それが正しい軍略です。自分の手の内を晒さないのが軍事上の常識です。
でも、どうして国会では政府がわざとあいまいにしているところを白日の下に晒すような質問をするのでしょう?
それによって命の危険が増すのは自衛隊員です。
そしてこの法案が通れば、自衛隊員の志願者が減ったり、退職する人が増えて足りなくなったりするために徴兵制が復活する?というようなバカな論理をいっていたのも民主党でしたね。
あの帰化人議員の白真勲議員は、「海外に自衛隊が派遣されていたら大災害が起きた時に国民を救えなくなるじゃないか」とこれまたおバカな質問をまじめな顔で言っていてつくづくこの人たちは政府の足だけを引っ張ればいいと思っていることが私は理解できましたが、皆さんはいかがでしたか?
あの東北大震災の時に現地に大勢の自衛隊員が救助や復興のために現地に出動しましたが、防衛を任務とする部隊はきちんと海岸線を護り、変な人間が海から上がってこないように見張っていたことはあまり知られていません。
海外にPKO活動等で派兵する際も、当然国内に余力は残して派遣しますし、災害が起きた場合の救助活動要因はきちんと確保されています。それが自衛隊というものです。
とうぜん、限られた人員で行うものですから多少の無理は出てきます。でも、それを歯を食いしばって行うのも自衛隊員の質の高さです。
自衛隊の存在を認めない人がまだいるようです。でも、今回の災害のように風が強く、付近には電線などがあって上空からの侵入が難しくとも、テレビの画面を見ている限り、ヘリは止まったように一定の高度を保ち、姿勢を保持していました。
吊るされた隊員は強風で右へ左へ流されていましたが、それを吊るすヘリは微動だにしていません。
これが猛訓練によって培われた高い練度の賜物と言って何の語弊があるでしょう。
警察の救助ヘリや消防の救助ヘリも大活躍していましたが、使用する機材や装備の違いもあるのですが、陸自や空自の救助ヘリの性能が安定しているのは素人目にもはっきりと印象付けられたはずです。
陸自や空自の救助ヘリはこれを戦場で行う訓練をしており、ただ助けるだけでなく自分の安全も確保しながら遂行する任務として訓練を受けているのです。
やはり自衛隊の救助ヘリは国民を護る最後の砦としての自衛隊を印象付ける大きなものとなりました。
でも、自衛隊は憲法学者から見れば違憲の存在です。
それは日本国憲法が国防上おかしいのです。早く改憲をせねばなりません。
でも、その時間がかかるので切迫する状況にすぐに対処できるための憲法解釈です。何がおかしいのか何度野党の主張を聞いても理解できません。
でも、「憲法守れ!」が日本国憲法の精神つまり東京裁判史観を守れといっていると理解するとやっと意味がわかります。
私は東京裁判は裁判としておかしいと思っているために、個の東京裁判史観を順守する必要は全くないと思っています。
なぜなら皇軍の将兵はアジアの解放のために命を投げ出していただいたのですから。
それは、安倍総理の70年談話にしっかりと明記されています。
そろそろ日本が悪かった、日本は謝り続けなければならないという東京裁判史観から脱しませんか?
もっと近代史を学び、日本軍の戦い方や軍律の厳しさを学んでいけば、南京の虚構や嘘がすぐに理解できます。
軍事、日本の軍隊の仕組みや戦い方や他の国の軍隊の様子など、を学ばずに一律に軍はと考える方がおかしいということにそろそろ気づかねばなりません。
軍人は特殊な人たちではなく身近な存在なのです。自衛隊員に友人が何人もいますが、家族のことで悩み、恋愛のことで悩みを持つ普通の人たちです。
ただ違うのは国を守る使命感が一般人とはけた外れに大きいというだけのことです。それほど一般の日本人が国防に対して劣化しているということなのですが・・・。
日本国憲法の東京裁判史観を守って日本国民が本当に幸せになるのでしょうか?
もしそうなら、私も憲法守れと叫んでいたかもしれませんが、どう考えても今の日本国憲法は日本国民を笑顔にする憲法ではなく、他の国の人に謝り続けなければならない憲法に思えてならないのです。
日本は本来、尚武の国であり、優しさにあふれる国です。
この相反する概念を実現させている国だからこそ、世界から信頼され尊敬される国であったと思っています。
日本を尊敬する世界の人々が現実は違う時がつく前に、本来の気高き日本人に戻らねばならないと思っております。