昨日朝鮮総連の許宗萬議長の自宅の家宅捜索がありました。
今までタブーと言われていたところに踏み込んだのです。これは、北朝鮮の拉致被害者の調査が一向に進まないのに警鐘を鳴らしたのです。
今まで一切手をつけなかったところに捜査を強行したということは安倍政権の拉致問題の解決をしようとする本気度を示したといえるでしょう。
戦後、朝鮮半島問題は戦後の闇の中でどんどん一般から遠いところに行ってしまっています。
私も小さい頃からあの人たちと関わるなと言われて育ってきた世代です。
小さいながらに「どうして?」と大人たちに聞くと口々に「かかわるとうらめしいから」と言われました。
お利口さんだった私は、素直にその言葉を聞いてあまりかかわりを持たずに来たつもりでした。
でも、ちょっと目を凝らしてみると周りには在日の人たちがたくさんいました。
普通に付き合っており、もともと外人好き(特に金髪)だった私は差別は良くないし別に差別する必要がないと思っておりました。
しかし、戦後70年歴史を学びなおせば直すほど、今まで学校で教えられていたことがおかしいことに気が付きます。
さらにマスコミが扇動することの異常さにも気付きはじめたのです。
この過程はここの読者の方々も同じでしょう。でも、歴史をもっと体系的に読みなおしてみれば、もっとこの問題が根深いものがわかるのです。
昭和20年の敗戦と同時に、アメリカとソ連が朝鮮半島を二分しました。ここから朝鮮の悲劇は始まるのです。
朝鮮半島が日本の支配下に会った時の方がよっぽど生活しやすかったとずっと昔に朝鮮人の人から聞いたことがあります。
でも、その事実を韓国・北朝鮮の両国民に知らせないために、自分たちの悲惨な生活の原因をすべて日本のせいにしました。
強制連行など存在しなかったのに、これは日本が戦時中に犯した罪だと多くの日本人がそう思いこまされてきました。
彼らも自分たちは自分たちの意思とは反して無理やり日本に連れてこられたと嘘をつき、いつしかそれを信じ込んでいたのです。
1950年に始まった朝鮮戦争は民族同士で殺しあう悲惨なものでした。
ここには米軍のための慰安所も設けられていたことが最近の研究で明らかになっています。慰安所は別に日本だけが持っていたわけではありません。
その戦争を逃れたたくさんの朝鮮人たちが日本に密航してきました。
あのパチンコのマルハンの会長も自分でそう言っています。
ほんの五年前までは、同じ日本臣民だった彼らを八紘一宇、五族協和と教えられた日本の人たちはかわいそうな難民を受け入れました。
しかし、衛生観念が大きく違い攻撃的な朝鮮人は次第に日本の社会から疎まれる存在になっていきます。
そこで受けれたのが被差別部落でした。部落出身者と在日の区別がつき難くなっているのはこのせいです。
戦後都市部への人口流出が増えて、今までの出身地での被差別部落の人たちと普通の日本人は区別がつかなくなってきました。
今の若い人で部落問題と言ってどれだけの人がピンとくるでしょう?
被差別部落出身者も自分がそうだとは思っていない人も大勢いると思います。
だって同じ日本人同士ですから。
日本人と外国人は選挙権や被選挙権などで当然区別されるべきです。
しかし、日本人同士の間には権利や義務で何の区別もいらないはずですが、なぜかいまだに同和対策費として巨額の予算が付けられています。
企業や公民館などは一年に一度人権研修を義務付けられています。
私も数十度受けているのですが、いつも違和感を持つことになります。
私の世代(58歳)でも、すでに同じ日本人同士の部落民に対する差別意識は皆無と言っていいでしょう。なぜなら、その違いが分からないからです。
誤解の無いように言いますが、同和問題に関してはいろんな本を読み、歴史的な事実もいろいろ普通の人よりも数倍知っているつもりです。
そういう人間でさえも、差別?人権?と言われてもピンと来ないのが現実です。
去年公民館の人権学習を受けた感想をこのブログにも書きました。
多文化共生社会?日本ほど寛容の精神を持ち、いろんな文化を許容する社会はないぞと思いながら聞いていましたが、あまりにも人権人権と講師が連呼するので、手をあげて、「人権を学ぶとか、人権を知るということに違和感を持ちませんか?」と参加者の方に聞きました。
そしてこの「人権」という言葉は「思いやり」という言葉に変えた方がしっくりくるでしょう、というとほとんどの参加者の人の頭が縦に振れていました。
いろんな考え方、いろんな文化は許容するけど、後から来た人たちが自分たちはこうでなければならないと強烈に主張されても、それをそのまま受け入れることはどんな人でも無理でしょう。
辛淑玉という日本生まれの日本育ちの在日朝鮮人がいます。
顔は半島顔をしていますが、しゃべる言葉は普通の日本人と何ら変らない日本語を話しており、普通に付き合えるどこに出もいるような人です。
彼女は差別や人権問題について辛らつな意見を言っていますが、多文化共生社会だから日本人はいろんな人たちを受け入れなければならないと強烈に主張し、愛国者はもとより、普通の日本人からも受け入れがたい存在になっています。
実際に彼女の話を聞いてその理由がすぐにわかりました。
自己紹介の時に、「私は在日です。」と自分の立場を明確にし、私たちとの間に明確な線を引いたのです。
もし、本当に仲良くするつもりがあるのなら、最初は相手に合わせて自分たちの主張もしていくのが大人のやり方だと思うのですが、まずは自分を主張します。
以前知人のアフガニスタン人も同じでした。
自分は肌の色が黒い外人で日本人から差別されたという強烈な被害者意識が強い割には、自分の主義主張は一切曲げずにいました。
こういう人からも助けてほしいと言われれば、「義を見てせざるは勇無きなり」とのこのこと行っていたのですが、だんだんその矛盾に気付き始めました。
この人もう少し自分を抑えて日本の文化や日本人を受け入れたらもっとこの人も受け入れられるのにと思うのですが、彼女も一切それをしようとせず、強烈に主張をするために、可愛そうだからといろいろお手伝いしていてもだんだんいやになり、お世話するのを止めてしまいました。
すると、今度は私のことをいろんなところで悪口を言い始めましたが、結局はそれが自分の首を締めることになっているとは気づかずに、相手が悪いの一点張りです。
在日の方々でも日本の社会に溶け込み、地域の町おこしや自治会の活動を積極的にされている方も大勢知っています。
そこには何の差別も生じていません。みんな仲間です。
でも、犯罪を犯したり、強烈に自己主張をしたりすることにより摩擦が生じた時に「人種差別だ」と言い張るのは普通の日本人には理解に苦しむことです。
今回の朝鮮総連の許議長も警察の捜査が不当であり、人種的な差別だと今までさんざん言ってきたセリフを繰り返しています。
でも、おかしいことはおかしいといえるのが日本の社会です。
当たり前のことを当たり前にするのが日本の社会です。
誤っていることを正すことが日本の社会です。
政府が禁輸措置をしている北朝鮮産のマツタケをCHINA産と偽って輸入することは違反です。
それを正すことに何人たりとも意義のあるはずがありません。
これだけでなく、いままで在日だからと言って見過ごされてきたことを正す絶好の機会です。
安倍政権にはどんどん普通の日本人がほっとする政策・施策を推進していってほしいと思います。
拉致や特定失踪者を一刻も早く解放しないともっと強い態度に出るということを警告しています。なかなかやるじゃないですか。
そして韓国に軟禁状態になっている産経の加藤元支局長を解放させるべく、韓国通の二階氏に特使になっていただいて連れて帰ってほしいと思うのは私だけでしょうか?