元旦の朝まで生テレビを見て、無性に腹が立ったこと。 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 普段は見ない番組ですが、三社参りから帰ってきてテレビをつけたらやっていたので、何気に見ていました。

 辻本清美や孫崎亨、金慶珠などの左巻きがずらっと並び、山際澄夫氏が孤軍奮闘されておりました。

 さすが元産経新聞の山際さんは左巻きの慰安婦や靖国問題について口角泡を飛ばして反論されていましたが、それを冷ややかな目で見ている辻本や金慶珠などの表情が小憎たらしくて、だんだんイライラしてきました。

 こういう番組を見る時は、必ず自分がこの場に参加していたらなんと言うかと考えながら見るのですが、10人以上参加しているのに、山際氏以外はほとんど反論しないことにまず腹が立ちました。

 極めつけは、経済人の宋文洲の発言でした。

 「日本が中国に侵略して、たくさんの人々を殺した。私の友人の親戚も殺された。でも、どうして戦後日本に補償を求めなかったのかを考えろ」みたいな発言をしたのです。

 だから、その気持ちを考えれば靖国神社に行くべきではないと言いたいのでしょうが、これに誰も反論しませんでした。

 もう怒りが沸騰しました。

 日本がいつCHINA大陸に敵前上陸したのか?と言いたかったですね。

 義和団事変の時に、外国人を保護する義務のある清国政府がそれを放棄したために、多数の外国人の命が危険に晒され、実際にたくさんの外国人がCHINA人暴徒のために命を落としました。

 それを必死で防いだのが海軍陸戦隊を指揮して戦った芝五郎陸軍中佐らが一丸となって自分の怪我も顧みずに奮戦し、各国の公使館員を救いました。

 その勇壮無比な戦いぶりに感心したイギリスがアジアで初めて対等な条約と日本と結びます。これが日英同盟です。
 
 この日英同盟がそのすぐ後に勃発する日露戦争の勝利に大きく貢献します。

 国際常識を無視した清国が義和団事変の後に各国から突き付けられたのが自国の国民保護という名目の軍隊の駐留でした。

 それまで警備隊は在中していましたが、あくまでも警察のようなもので、正式な軍隊を清国国内にいれたのが義和団事変の後でした。

 それで日本だけでなく、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカなどの欧米列強も同じようにCHINA大陸に進駐したのです。

 これのどこが侵略なのでしょう?

 そして、殺されたのはCHINA人だけではありません。

 1937年の南京入城のきっかけとなった第二次上海事変は大山海軍中尉の国民党軍による機関銃射殺事件です。

 この大山海軍中尉の甥っ子が私の友人でもあります。

 この日本帝国軍人たちは、先にも書きましたが敵前上陸をしてCHINA国内にいたのではありません。

 在留邦人保護のために清国、そしてそれに続く中華民国との国際条約によって認められてCHINA国内に駐留していた軍人です。

 第一次上海事変の停戦合意を受けて、戦争状態ではなく、戦争の反対語が平和ならば、平和な時に公務中に機関銃を乱射され、文字通り体をハチの巣にされて殺されたのです。

 いわば、日本に日米同盟で駐留しているアメリカ軍将校を日本の自衛隊が惨殺するのと同じです。たちどころに大問題になりますね。

 さらに、この時にCHINA大陸を支配していたのは、中華民国政府ではありません。

 蒋介石の国民党がいましたし、田舎の方には毛沢東率いる共産党がいました。
 
 この共産党が現在の中華人民共和国を大東亜戦争後建国するのですが、この共産党は一度も日本軍と正規な戦闘をしていません。

 すべてがゲリラ活動、テロ行為であり、それは日本と国民党軍の和平調印式に爆弾を投げ入れたり、お祝いの席を妨害したり、次々に和平を乱す行為を行ってきた犯罪集団でした。

 当時は蒋介石の奥さんが全米を行脚して日本にいじめられているかわいそうなCHINAを救ってくださいと訴えて回ったために、アメリカの世論がCHINA傾き、蒋介石を救うルートがインドからビルマ(ミャンマー)を経てCHINAに入るいわゆる援蒋ルートが構築されていきました。

 1939年にヨーロッパの戦端が開かれるまではドイツの軍事顧問団が国民党軍に兵器を提供し、日本軍よりも高性能な兵器を保有し、その後は援蒋ルートによって英米の兵器が入ってきている状況でした。

 毛沢東の共産党軍は、国民党軍から逃げまどい、満足な兵器も持っていませんでした。

 とうぜん、組織的に動く日本軍の相手ではありません。そこで、毛沢東は蒋介石と日本軍を戦わせて両軍を疲弊させる作戦に出るのです。

 そのため、蒋介石と日本が和平をしようとするといつもテロやゲリラで妨害したのです。

 日本政府はそれが共産党の仕業と知っていましたので、できるだけ穏便に済ませようとしました。

 しかし、その細かい内部までわからない国民は、暴支膺懲(ぼうしようちょう)というスローガンを朝日新聞や毎日新聞紙面で書き、国民の戦争意識を煽り立てるのです。

 よく軍部の暴走でCHINAの戦争に突入したと言われますが、それは戦後の左巻きの人たちが自分たちの発信手段になった朝日新聞や毎日新聞を擁護するために作った作文です。

 そして軍部だけではお金のかかる戦争は遂行できません。

 このこともよく研究しないで、ステレオタイプ化した戦前は軍部が暴走したという理由だけで日本が戦争したように処理されています。

 だから、日中戦争という変な言葉が市民権を得ています。

 繰り返しますが、CHINA大陸は中華民国の国民党が全土を支配していたのではありません。

 ほんの一部しかその勢力範囲は無かったのですが、外国からの支援により日本国軍よりも優秀な兵器を持っていました。

 ただ、飛行機を操縦することはできなかったため、シェンノート准将の率いるフライングタイガーと呼ばれる正規の空軍が便宜上軍籍を外して義勇軍として日本と戦っています。

 あの駄作で有名なパールハーバーをもう一度見てください、行方不明になったヒロインの前の彼は日本軍との戦いで行方不明になったという設定です。

 彼らの言う太平洋戦争はパールハーバーのだまし討ちから始まったのではなかったのでしょうか?

 その前に空軍のパイロットが日本軍と交戦して行方不明に?面白すぎです。

 まあ、どうして蒋介石が日本に補償を求めなかったのか?

 それは、共産党の内戦に忙しく、アメリカの占領下にある日本には手が出せなかったのです。

 その後、日中国交回復を成し遂げた田中角栄に周恩来も賠償を求めませんでした。

 それは共産党が政権を奪取できたのは日本が国民党と戦ってくれたおかげでその隙に入り込んで天下を取ったからです。

 そこには満州国に蓄積されていた日本帝国陸軍の戦略物資や兵器を丸ごとソ連から譲り受け、そのおかげで国民党軍との内戦に勝利したからです。

 人民解放軍の空軍創設は日本帝国陸軍航空隊が大きく関与しています。

 そんな日本に感謝してもしきれないくらいの気持ちを持っていたのです。

 でも、戦後の教育では一切それは隠されてきました。

 国民の知る権利は踏みにじられてきたのです。

 それを左巻きの連中は自民党の左派も含めて、隠蔽し続けてきました。
 
 日本の首相が日本国のために命を捧げた英霊が鎮まる靖国神社に参拝したら今まで隠してきた事実が表に出やすい環境になります。

 だから、隠蔽という犯罪を犯してきた日本を戦争してきたマスコミと日教組は総力を挙げて叩こうとしましたが、日本国民は安倍総理の靖国参拝を圧倒的に支持しています。

 それでもなんとか隠ぺいをし続けようとするマスコミは、アメリカの発言を盾にして攻撃を続けようとしました。

 アメリカも失望したと言っていると。

 しかし、アメリカの国務省の記者会見の読んでみると、この「失望した」という英語の意味が「大切な同盟国の日本が周辺ともっと仲良くしてくれないから残念だわ」という軽い意味にしか取れません。

 
http://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2013/12/219160.htm#JAPAN

 上記のURLにその記者会見の様子が文字で書かれているので、ご覧下さい。

 regret(遺憾)やconcern(関心を持ってみていく)よりも軽い意味でつかわれたことがわかります。

 まあ、英文解釈も大事ですが、日本が独立国として当たり前のことを粛々と当たり前にすることを貫くことがこの事態を収拾する一番の近道だと思います。

 中韓に「靖国カード」からもう何も引き出せないと知らしめることが必要な時です。

 そのことを痛切に感じるためにも「永遠の0」を休みのうちに行って観てください。そして靖国神社や護国神社の存在意義を自分で問うてみたらいいと思います。